神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

 白球を追って(12)-フィナーレ

時は純一が3年生の9月で、目黒5中のグラウンドにいた。平日の放課後だというのに、生徒は誰もいなかった。静まりかえった他校のグラウンドにいたのは、純一たちの目黒11中と対戦相手の目黒7中の野球部員だった。野球の秋季区大会第1戦であった。3年に…

 白球を追って(11)- キャプテンの役割

牧原純一は初代のキャプテンを務めることになったが、キャプテンの役割とは何であろうか。みんなを一つの目標に向かって引っ張っていくリーダーシップを発揮すること。そして、目標を達成すること、であろうか。純一の考えていた目標とは「野球部創部」であ…

新潟の酒を愉しむ会

昨晩は新潟会だった。私は1982年に入行してすぐに新潟支店に配属された。その時の独身寮の仲間+1名ゲストの計11名が出席した。場所は赤坂田町通りにある花岡ビルというとても古いビルの3階にある「うちだ」という料理屋。先ずは、先付けのつまみに続き、…

 白球を追って(10)-土曜日の午後の校庭の賑わい

当時、学校は土曜日、毎週授業があった。純一は土曜日がものすごく好きだった。4時限の授業を終えると、思い思いの場所で弁当を食べ、午後の部活動に参加する。家から弁当を持参することもあったが、緑が丘の緑ベーカリーで焼きたての菓子パンを食べるのが…

白球を追って(9)-投手の条件

野球では圧倒的に投手の運動量が多い。そして、ボールを持っている時間が最も長いのも投手である。外野手ではごく稀に試合中全くボールが飛んでこなくて、触らないということもあり得るのである。だから、投手の出来如何でチームの強弱が左右される。いい投…

娘の引っ越し

娘のサオが昨日、引っ越していった。前の晩遅くに、白馬でスノボーをやり、帰ってきた。大学生として遊べるのもあと数日と迫り、遊びまくっている。遊び呆けて、呑気な娘に妻がカリカリしていた。案の定、慌ただしくバタバタと準備をして、引っ越しとなった…

白球を追って(8)-秘密の特訓

純一の背番号は10番だった。これはソフトボールチームのキャプテンは10番というのがお決まりであったからだった。大学野球と同じルールだ。本当は小学校でつけていた11番が、学校のナンバーと同じであり、良かった。もしくは、エースナンバーの1番か18番か。…

白球を追って(7)-飛翔

翌年、男子ソフトボール部は課外クラブに正式に昇格した。まだ名称はソフトボール部のままだった。だけど、やっと他のクラブと同格の立場に立てたのだ。課外クラブになるやいなや、当初からの目論見通りに、我々はあっけらかんと野球の練習を始めたのだった…

(20) 妻の自転車

娘が、明後日引っ越すに当って、妻が今乗っている自転車を持っていくことにした。妻は毎日、職場までの往復に40分、他にも買い物等にも使っており、我が家の中では一番自転車に乗っている時間が長い。予てより、もっといい自転車に乗せてやりたかったので、…

白球を追って(6)-高い壁

1Bのリージャース出身者を中心に立ち上げた課内クラブだったが、メンバーはモンタとトミーがバレーボール部から、イネさんとワタナベ君とミズタ君とジーさんがテニス部から、カワイ君がサッカー部から参加した。純一が渡り歩いたクラブから、野球好きな仲…

白球を追って(5)-課内クラブ創部

1年生ももうじき終わらんとする3学期のある日だった。純一は藤谷先生に声をかけられた。「純、クラブを創ってみないか?」 来年度から課内クラブという制度が導入され、それに乗じて男子ソフトボール部を立ち上げるという構想である。グラウンドが狭いので…

白球を追って(4)-リージャース

話は前後してしまうが、入学して純一は1年B組の生徒となった。40人の5クラスで同学年は200人だった。ちなみに現在の同校は1学年が1〜2クラスしかないようだ。少子化と中学進学熱の高い地域であり、ゆとり教育が拍車をかけ公立学校離れを引き起こしてしま…

白球を追って(3)-ミュンヘンの星

遊び好きな純一であったが、小学6年の時には中学受験にチャレンジした。クラスの秀才たちが日進という日曜のみの受験進学塾に通うと聞いて、純一も背中を押されるように通うことにした。結局、遊びの方が楽しかったようで、受験は惨敗に終わり、区立中学に進…

白球を追って(2)-遊びの世界

外で遊ぶ子供たちを近頃は見かけなくなった。おそらく今の子供たちは自宅でファミコンにでも興じているのだろう。都会では自動車は多くて危ないし、そもそも遊び場となる空き地や野原がない。昭和45年はまだ街の至るところに空き地があり、そのデコボコで草…

白球を追って(1)-夕暮れのグラウンド

10数年前のとある日のことであった。中学の同窓会に出席する為、久々にこの地にやってきた純一は、母校を見てから行こうと足を伸ばした。東横線都立大学の駅で降り、暗渠となった呑川沿いを歩き、薄暗くなりかけた頃、彼が卒業した中学校に辿り着いた。駅か…

PCスライドショーの面白さ

PC

妻は具合が悪く、寝てしまった。娘の新生活準備で、風邪気味だったのに出かけ、引っ張り回され、悪化したようだ。その傍らで最近撮った写真をPCでスライドショーで鑑賞しつつ、ローマ旅行土産のJohnney WalkerのGreen Labelをオンザロックで飲んでいる。誠…

中学受験惨敗記(続)

中学受験に失敗した私は、失意の下で当然の如く地元の区立中学に行くことになった。一緒にG大世田谷を受験した女子のKさんも、同じ区立中に行くことになった。同じクラスのM君とI君は国立中は駄目だったものの、二人とも麻布中に行くことになった。しか…

中学受験惨敗記

先日書いた「中学受験発表の風景」で多少なり反響を頂いたので、それに類することを自分自身の経験から書きたいと思う。時期的には中学受験はもうすっかり終わり、高校・大学受験がこれから本番を迎える頃だろうか。私にとって受験は遥か昔の話であるが、こ…

みぞれ混じりの雪の日に

明日から3連休である。楽しいことが待っている(に違いない)。久しぶりに何の予定もなく、ジムとブログと時間があったら本でも読もう。何よりももうじき家を出て行く娘と家庭での時間を楽しみたい。 この週末、娘は引っ越しを予定していたが、会社からの住…

先輩の死

昨年末に亡くなられた我が社の常務だったYさんのお別れ会が、ホテルニューオータニの鳳凰の間で行なわれた。亡くなられたのが12/28であり、年末ということもあり、通夜・葬儀に出れなかった方も多く、銀行同期を中心に開催され、200人もの多くの人が参列さ…

何故信長は光秀を追い詰めたのか(2)

織田信長のパワハラは明智光秀に向けられたばかりではなく、羽柴秀吉や柴田勝家や徳川家康やその外の家臣にも行なわれた。光秀への厳しい仕打ちは謀反話(本能寺の変)をストーリー付けようと、後世さまざまな講談・俗書・小説・映画・ドラマにて解釈が試み…

何故信長は光秀を追い詰めたのか

昨日の大河ドラマ「江」はとても面白かった。早、本能寺の変であり、信長の最後であった。豊川悦司の織田信長が好かったので、まだまだ観たかったが、残念である。歴代いろんな人が信長を演じてきたが、トップクラスのはまり役ではないだろうか。 また、市村…

友人たちからのメール

昨晩は激しく大酒を飲んだので、さすがの今日はジムをサボってしまった。家を一歩も出ずに引きこもり生活をした。酒も抜いた。それでもメールが何通か来て、退屈はせず、寂しくもない。メールの返信を書いたり、ブログをまとめ書きしていると、あっという間…

(19) 路地裏散歩

昨日(2/5)は友人と神楽坂の路地裏散歩を1時間半ほどした後に、新宿三丁目末広亭近くの丸港水産という居酒屋に合流し、いつもの中学仲間4名で、いつものようにしこたま飲んだ。ここは名前通りに魚市場のような荒々しい雰囲気(周りをビニールシートで囲ってい…

中学受験発表の風景

昨晩(2/4)は大学の非常勤講師の先生たちが集まる定例会が如水会館で行なわれた。会館内の橋畔亭という和食料理屋で鹿児島産特選黒豚しゃぶしゃぶを楽しんだ。8名程度の会合には相応しく、個室で利用できる。講義も全て終わり、生徒の成績評価も終わったとこ…

久しぶりにカメラの話

最近は2年前に買ったデジカメCANNONのIXY2000ISと、常に持ち歩いているiPhoneカメラの2つを使っている。そういえば、プロのカメラマンも一眼レフの本格的カメラに交換レンズも多種揃えた装備と、馬鹿チョンカメラの2つを使うという話を聞いたことがある。い…