神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

 白球を追って(11)- キャプテンの役割

macky-jun2011-02-27

 牧原純一は初代のキャプテンを務めることになったが、キャプテンの役割とは何であろうか。みんなを一つの目標に向かって引っ張っていくリーダーシップを発揮すること。そして、目標を達成すること、であろうか。純一の考えていた目標とは「野球部創部」であった。野球少年みんながやりたいと願っていた野球を、あの狭い11中のグラウンドで実現することであった。目標であり、およそ実現しそうにもない夢であった。
 最初は夢物語のようでもあったが、リージャース→課内ソフトボール部→課外男子ソフトボール部(⇒野球部)というところまで、ステップを踏んで実現してきた。それはいくつかの奇跡的な偶然と必然が重なった結果でもある。1年の時の担任が野球に人一倍の愛着を持っていた藤谷先生であったこと、彼が体育の先生でもあったこと、野球仲間との出会い、女子ソフトボール部を始めとしたサポーターの存在、後輩たちの強い支持と活躍、1年から3年までの準備期間があったこと、最終的には理解し認めてくれた校長や区の野球連盟・・・。
 クラブのキャプテンとは、ランニングの時にかけ声かけながら先頭をきって走り、円陣組んでと、チームの士気を高める、カッコいい表の顔もあるが、その本質は裏方、雑用係であると思っている。純一たちのチームにマネジャーはいなかった。当時は他部にもいなかったようだ。「もしドラ」が昨年流行ったが、ドラッカーを読むような経営センス抜群な女の子が、マネジャーでも務めてくれていたら、さぞや我が野球部は強かったことだろう。さて、脱線したが・・、純一は雑用を率先してやることにした。
 それは、砧グラウンドの利用予約申し込みに行ったり、他校に練習試合をお願いしたり、どこにでも駆けつけた。東に悩める後輩いたら「心配するな」と慰めに行き、西に壊れた道具箱あれば、金鎚持って直しに行き、南に怒れる先生あれば、職員室に駆け付け、頭(こうべ)を垂れ、北にサボる仲間いれば「もう来なくていいぞ」と脅しに行った。みんながやりたがらない裏方・雑用作業を率先垂範して、初めて人はついてくると学んだ。これはどんな社会にも共通するリーダーのあり方のように思う。(お蔭で52歳にもなった純一は、いまだに飲み会アレンジ・遊びの企画等雑用作業を、相変わらずやらされているようである。)
 夢というものは簡単に実現できるものではない。しかし、叶いそうにないからと諦めてはいけない。正しい夢を持っていれば、必ずやそれに賛同して手を差し伸べてくれる人が現われる。一気に実現しようと焦ってもいけない。プロセスをしっかりと踏み、既成事実を積み上げて、じっくりと関係者のコンセンサスを得て、実現していく。これこそ、どのビジネスにも通じるセオリーであるのだが、こんなことをわずか15歳の純一が学べたのは貴重な体験だった。学校というものの役割、部活動の効用・・・11中は何よりの学び舎であった。