神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

実家の片付け

macky-jun2014-10-13

 ほぼ半年ぶりにブログを書く。今日は3連休の最終日、これから台風19号が到来しようという嵐の前の静けさのような時間だ。流石にこんな日は出かけるのも止め、1日家籠りだ。諸々の雑事を片づけ、書斎の引き出しを久しぶりに整理し、ふいにPCに向かったところである。半年も書かないでいると、はてさて何から書いたものか、ブログを書き始めた7年前のような心境である。この間いろいろな事があった。世の中にも触発される出来事がたくさんあった。そのたびにブログを思い出していたが、何故か向かう気持にならなかった。
 母が亡くなり、父も亡くなり、仕事も変わり、自分にとって今まで経験したことが無いほどの大変動が起こった。そんな日々の中、心はボロボロになりながらも、両親を納骨し、実家の片づけを行なった。初めて経験することばかりだったが、家族や兄弟と力を合わせて取り組んだ。近頃、実家の片づけに関する本や週刊誌の特集が多いが、これもブームなのだろうか。単に自分がそうした境遇に居たから、やたら目についたのだろうか。
 それにしても住人の居なくなった、半ばゴミ屋敷と化した家の片づけはとても大変な作業だった。父が脳梗塞で倒れ、母の認知症が進行してからは家は散らかるばかりだった。要らない空き箱が大事に押し入れに保管してある。壊れて使わないプリンターや電話機が数台出てくる。梅酒やかりん酒の瓶はいったい何本あっただろうか。羅列すれば切りがない。いったい片づけにいつまでかかるか、気が遠くなりそうな膨大な作業であったが、妻が持ち前のリーダーシップを発揮して、先頭に立って引っ張ってくれた。私だったら1年がかりとなっていたかもしれない。行動の早い馬力のある弟と、ロジスティックスに優った作戦参謀である我が妻の二人が中心となり、みんなを巻き込んで、息子の協力も得て、1か月半で全てきれいにした。プロの片付け屋や便利屋を使う方法もあるが、できることは全て自分たちでやろうとの方針で、力を合わせて汗をかきかき、片付けた。大物家具も自分たちで2階からも降ろし、処分した。ゴミ袋は行く度に愛車フォレスターに20袋もの大物ゴミを積んで帰ってきた。
 業者に頼めば、2〜3百万円で処分が出来るのかもしれない。しかし、これは親との決別の作業でもあり、赤の他人に委ねる訳にはいかなかった。それを通し、父母との想い出を振り返ることもでき、かけがえのない時間を送ることができた。また、妹弟、妻や息子との絆も深まったのではないかと思う。わが両親はゴミ屋敷を残すことで、残された大切な人々との絆を深めてくれたのだ。