神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

中学受験惨敗記(続)

macky-jun2011-02-12

 中学受験に失敗した私は、失意の下で当然の如く地元の区立中学に行くことになった。一緒にG大世田谷を受験した女子のKさんも、同じ区立中に行くことになった。同じクラスのM君とI君は国立中は駄目だったものの、二人とも麻布中に行くことになった。しかし、私にとっては区立中に行ったことで、結果的にその後の人生が大きく開けたと思っている。
 この中学には残念なことに野球部が無かった。それはとっても残念なことであった。グラウンドが2ヶ所に分かれているものの、ともかく狭いのである。当時、目黒区で野球部があったのは、東山・1・5・6・7・10中の6校のみであり、スポーツとして人気が一番あるにもかかわらず、都内の学校特有の問題でどこもグラウンドが狭いからだった。そこに風穴を開けたかった。
 1年の時の担任が(このブログでもお馴染の)体育のF先生であり、顧問になって頂き、仲間を集めて野球部を創ることができたのだ。この辺の話は長くなり、これまでも一部してきたので詳しくは書かない。仲間と共に自分たちのやりたいことに拘り、困難(各所からの反対が多かった)を乗り越えて実現できたことが、その後の人生でどれだけ自信となり、勇気を与えてくれたことか。すなわち、自分にとっては数少ない(その後も無い)武勇談になってくれた。
 もしもG大世田谷中に受かっていたらどうなっていただろうか?秀才の中で埋没し、落ちこぼれていたかもしれない。自信を失い、自分らしく生き生きとできなかったかもしれない。もしも、ということは人生においては言ってはいけないことかもしれない。ただ私にとってはあの受験に失敗したからこそ、仲間と出会い、夢を実現することができた。素晴らしい先生たちとの出会いもあった。そして、今でも度々集まっては酒を飲み、遊んでいる生涯の仲間となった。
 だから、受験生には仮に失敗したからってそんなにしょげる必要はない、と言ってあげたい。私のように失敗したことで、逆に貴重な経験ができることもあるし、世界が開けることもある。何よりここまで頑張ってきた経験こそ、今後のエネルギーの源になる筈である。知識という点でも、私は高校や大学受験で覚えたことはすっかり忘れてしまったけど、中学受験で学んだことはしっかり今でも覚えていますよ(世界の首都だって、今でも全て言えますよ)。その位、幼い頃の頭脳は吸収力があり、柔軟です。
 失敗した受験生も、自分の行くことになった学校で、思う存分学生生活を楽しんで欲しい。楽しんでいるうちにその後の人生が開けて行くことでしょう。君たちの将来を蔭ながら応援していますよ!