神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

白球を追って(4)-リージャース

macky-jun2011-02-17

 話は前後してしまうが、入学して純一は1年B組の生徒となった。40人の5クラスで同学年は200人だった。ちなみに現在の同校は1学年が1〜2クラスしかないようだ。少子化と中学進学熱の高い地域であり、ゆとり教育が拍車をかけ公立学校離れを引き起こしてしまったようだ。1Bの教室は学校で最も奥まった所に在った。校舎は全て鉄骨鉄筋と思いきや、1Aと1Bの教室のみ、渡り階段で隔てられた小さな木造校舎に在った。木々に囲まれ、鳥の鳴き声が聴こえるような牧歌的な校舎だった。
 1Bの担任は藤谷徹というまだ30歳を少し超えたばかりの浅黒い逞しい体育の先生だった。日体大を卒業し、高校時代は甲子園にも出たことがあるという噂で、筋骨隆々とされていた。彼を怖がっている上級生もいたが、純一はそのサッパリした性格がいっぺんで気にいった。
 この頃、純一は1Bのクラスの仲間といろいろな遊びを仕掛けていたが、野球への思い断ち難く、草野球チームを立ち上げたのだった。リージャース(「暇人たちの集まり」という意味:中学生のガキが付けたわりには粋なネーミングでしょう?)と名付け、日曜日ごとに二子玉川のグラウンドを借りて練習をした。我々年代の男の子たちはみんな野球少年だったので、野球をやりたいという気持ちがとても強かったのだ。
 ある日、我々リージャースの活動を聞きつけたのだろうか、藤谷先生から「女子ソフトボール部の練習相手になってみないか」と誘われた。この中学には野球部や男子ソフトボール部はないのに、何故か女子ソフトボール部はあったのだ?!このチームは都大会でもかなりいい線いけるだろうと、先生が期待を寄せるチームだった。土曜日の午後に、リージャースの仲間を中心に集め、女子ソフトボール部との練習試合を毎週行なった。
 みんなソフトボールとはいえ、学校でやらせてもらえることに歓んだ。またこの女子ソフト部には魅力的な2年生の先輩がたくさんいたのだ。中学の頃の一年違いというのはずいぶん大人度に差があって、特に女子の1年上の先輩というのは遥か上のまぶしい存在、素敵なお姉さま方に見えたものだ。
 キャプテンで4番ファーストを守っていたミッコさん、ハスキーボイスで身長も一番高かったけど、仕草が可愛らしく、男子の人気の的でした。実はこのミッコさんとは純一は高校も一緒となり、この後も何かと縁があったのだ。純一が秘かに憧れていたのはエースのリンダさんで、渾名の如く大きな瞳をした、少女マンガの世界から出てきたような人だった。このリンダさんがエイトフィギュアのフォームから舞うように投げる球は、とても速かった。
 外にも淡々とマイペースで頭脳派の捕手ケツコさん、逞しくも楽しいサードのミユキさん、可憐という言葉がぴったりなショートのクミコさんの5人だった。評判を聞きつけ、1B以外の他のクラスからも参加者が増え、あっという間に仲間がたくさん集まることになった。またも、不純な動機でものごとは着々と進んでいくようだった。みんな、純一同様にお姉さまたちとソフトボールをしたかったのだろう。