神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

白球を追って(6)-高い壁

macky-jun2011-02-19

 1Bのリージャース出身者を中心に立ち上げた課内クラブだったが、メンバーはモンタとトミーがバレーボール部から、イネさんとワタナベ君とミズタ君とジーさんがテニス部から、カワイ君がサッカー部から参加した。純一が渡り歩いたクラブから、野球好きな仲間を口説いて引き抜いてきた。それぞれ各部の有力選手ばかりだったので、残った部のメンバーからはさぞや恨まれたようだ。それだけみんな野球が好きなんだ。当初はこの倍20人近くの仲間が集まったが、同期はこの8人が最後に残った。これに新1年生が3人、4人、5人・・と増えていった。
 2年の頃はソフトボールの大会に専ら出た。ソフトボールはクラブのあるチームが少ないので、いきなり都大会出場なのである。小金井1中のグラウンドで行なわれた都大会の第1戦で、いきなり強豪の江戸川区小松川2中と対戦した。
 純一はリンダさんから習ったエイトフィギュアを引っさげ登板した。球はどのチームの投手と比べても速いのだが、コントロールが定まらない。初回にいきなり崩れ、四球、暴投、押し出しで4点を献上した。その後は乱打戦になり、初の公式戦とはいえ、みんなよく打って粘った。しかし、惜しくも8対9で敗れた。もう少し純一の投球が安定していたら、勝てたかもしれなかった。初の大会は初戦敗退となった。しかし、その小松川2中が都大会をスルスルと勝ち上がり、なんと優勝してしまったのだ。これって幻の準優勝?負けたとはいえ、我々は自信を少しだけ深めた。
 野球大会への出場を画策し、区の野球連盟に接触を試みた。ある時、連盟から職員室に電話が入った。大会への招待だった。それを電話に出たM教頭が「うちには野球部なんてありませんよ。」と断ってしまった。純一たちは悔しがった。「やはり正式な野球部でないと出場できないのか。」野球部創部には高い壁が聳えていた。校長・教頭・職員室・PTA・教育委員会・他のクラブ・区の野球連盟・・・。抵抗勢力はいっぱいいた。まだまだいろいろクリアーしなければならないハードルが多かった。
 そもそも狭いグラウンドを曜日・時間ごとに割り当てて、多くのクラブが練習をする。だから、自然と実績のある強いクラブが有利となる。発言権も強まる。新しいクラブができれば、自分たちのグラウンドの取り分が減ってしまう。ましてやグラウンドを広々と使う野球である。危ない。打球など当てられたらかなわない。彼らの立場からすれば反対するのは当然だったろう。
 純一は「先輩たちの伝統に乗っかっているだけじゃないか」と内心冷やかに思った。「生徒が本当にやりたい部活動を支援するのが学校の役割だろう」ならば需要が如何にあるのか、実績を示そうと思った。大会には出れないので実績を示せない。それならば先ずは部員の獲得だと、頭をひねったのだ。
 毎年春に新人歓迎のソフトボールクラス対抗戦というのがある。そこで試合をじっくり観戦し、記録し、有望な1年生をリストアップした。プロ野球さながらのスカウト活動である。そして目ぼしい子に1本釣りで声をかけまくった。元来、彼らも小学校では野球少年であり、反応はとてもよく、自然とたくさん集まったのだ。行けるぞと純一たちは手を取り合って喜んだ。