神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説

感じの悪い夢

ジムに行った夢を見た。しかし、ここは私がいつも行ってるジムではないようなのだ。先ずは入口がよくわからず、エレベーターに乗ると行きたいフロアに止まってくれない。タオルとかゴミが散乱しており、雑然としている。ちなみに私が通うジムはいつもとても…

 白球を追って(13)-後記

野球の面白さは勝ったり負けたりすることではない。勝敗というのはあくまで結果であって、ある意味どうでもいい。本当の面白さは、白球が青空に舞い上がって、その行方を皆が目で追いかける、ただそれだけのことにあるのではないだろうか。皆が一つのものを…

 白球を追って(12)-フィナーレ

時は純一が3年生の9月で、目黒5中のグラウンドにいた。平日の放課後だというのに、生徒は誰もいなかった。静まりかえった他校のグラウンドにいたのは、純一たちの目黒11中と対戦相手の目黒7中の野球部員だった。野球の秋季区大会第1戦であった。3年に…

 白球を追って(11)- キャプテンの役割

牧原純一は初代のキャプテンを務めることになったが、キャプテンの役割とは何であろうか。みんなを一つの目標に向かって引っ張っていくリーダーシップを発揮すること。そして、目標を達成すること、であろうか。純一の考えていた目標とは「野球部創部」であ…

 白球を追って(10)-土曜日の午後の校庭の賑わい

当時、学校は土曜日、毎週授業があった。純一は土曜日がものすごく好きだった。4時限の授業を終えると、思い思いの場所で弁当を食べ、午後の部活動に参加する。家から弁当を持参することもあったが、緑が丘の緑ベーカリーで焼きたての菓子パンを食べるのが…

白球を追って(9)-投手の条件

野球では圧倒的に投手の運動量が多い。そして、ボールを持っている時間が最も長いのも投手である。外野手ではごく稀に試合中全くボールが飛んでこなくて、触らないということもあり得るのである。だから、投手の出来如何でチームの強弱が左右される。いい投…

白球を追って(8)-秘密の特訓

純一の背番号は10番だった。これはソフトボールチームのキャプテンは10番というのがお決まりであったからだった。大学野球と同じルールだ。本当は小学校でつけていた11番が、学校のナンバーと同じであり、良かった。もしくは、エースナンバーの1番か18番か。…

白球を追って(7)-飛翔

翌年、男子ソフトボール部は課外クラブに正式に昇格した。まだ名称はソフトボール部のままだった。だけど、やっと他のクラブと同格の立場に立てたのだ。課外クラブになるやいなや、当初からの目論見通りに、我々はあっけらかんと野球の練習を始めたのだった…

白球を追って(6)-高い壁

1Bのリージャース出身者を中心に立ち上げた課内クラブだったが、メンバーはモンタとトミーがバレーボール部から、イネさんとワタナベ君とミズタ君とジーさんがテニス部から、カワイ君がサッカー部から参加した。純一が渡り歩いたクラブから、野球好きな仲…

白球を追って(5)-課内クラブ創部

1年生ももうじき終わらんとする3学期のある日だった。純一は藤谷先生に声をかけられた。「純、クラブを創ってみないか?」 来年度から課内クラブという制度が導入され、それに乗じて男子ソフトボール部を立ち上げるという構想である。グラウンドが狭いので…

白球を追って(4)-リージャース

話は前後してしまうが、入学して純一は1年B組の生徒となった。40人の5クラスで同学年は200人だった。ちなみに現在の同校は1学年が1〜2クラスしかないようだ。少子化と中学進学熱の高い地域であり、ゆとり教育が拍車をかけ公立学校離れを引き起こしてしま…

白球を追って(3)-ミュンヘンの星

遊び好きな純一であったが、小学6年の時には中学受験にチャレンジした。クラスの秀才たちが日進という日曜のみの受験進学塾に通うと聞いて、純一も背中を押されるように通うことにした。結局、遊びの方が楽しかったようで、受験は惨敗に終わり、区立中学に進…

白球を追って(2)-遊びの世界

外で遊ぶ子供たちを近頃は見かけなくなった。おそらく今の子供たちは自宅でファミコンにでも興じているのだろう。都会では自動車は多くて危ないし、そもそも遊び場となる空き地や野原がない。昭和45年はまだ街の至るところに空き地があり、そのデコボコで草…

白球を追って(1)-夕暮れのグラウンド

10数年前のとある日のことであった。中学の同窓会に出席する為、久々にこの地にやってきた純一は、母校を見てから行こうと足を伸ばした。東横線都立大学の駅で降り、暗渠となった呑川沿いを歩き、薄暗くなりかけた頃、彼が卒業した中学校に辿り着いた。駅か…