神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

何故信長は光秀を追い詰めたのか

macky-jun2011-02-07

  昨日の大河ドラマ「江」はとても面白かった。早、本能寺の変であり、信長の最後であった。豊川悦司織田信長が好かったので、まだまだ観たかったが、残念である。歴代いろんな人が信長を演じてきたが、トップクラスのはまり役ではないだろうか。
 また、市村正親明智光秀も実にいい。信長から酷い仕打ちを受け、手が震える演技は光秀の心の動きをよく表わしていた。光秀の苦悩からブチぎれるまでがよく表現されていた。
 何故、あれほど合理的な考え方の持ち主で、類まれなる戦略的な発想をする信長が、光秀をあのように追い込んでしまったのか。謀反の怖れありとは考えなかったのか。
 田渕久美子脚本のこのドラマでは、森蘭丸に「畏れながら、お屋形様は何故明智様に、ああまでつらく当たられるのか、と・・・」と聞かれ、「わしに万一のことあれば、あとを託せるのは光秀ただ一人なのだからな。」と期待の大きさを語る。蘭丸は「そのお気持ち、明智様に届くものかと・・・」と懸念する。
 光秀を後継者として期待するあまり、厳しく鍛えるという筋書きである。しかし、人前で罵倒され、殴られ、格下の秀吉の配下につけと命令され、丹波・近江の領地まで召しあげられてしまう。人一倍プライドの高い光秀には我慢がならなかったのだろう。
 だが、光秀も単にブチぎれて謀反に至ったのかと思いきや、「敵は本能寺にあり」までの口上は理路整然としている。「明智日向守光秀、天に代わりて織田信長を成敗致す。天下布武の偽名の下、罪もない民を戦で殺戮し、神仏を虐げしのみならず、不埒にも自らを神に祀り上げ、帝をも己の下に置かんとする所業の数々、許し難し。よってこれを天に代わって忠伐する。これは天の義、人の道に適うものなり。」と述べる。何者をも信じず、自分は神だと思う信長を、常識派の光秀は許せなかったのかもしれない。信長は自ら時限爆弾のボタンを押して、自壊してしまったとしか思えない。
 その謎に近づきたくて、10数年前に読んだことのある堺屋太一の「鬼と人と 信長と光秀」をまた読み始めた。この小説は織田信長明智光秀の二人が、同じ事件、同じ光景を互いに独白するという変わった形式をとっている。それぞれの立場から真実に迫ろうという試みである。
 それを読み終わったら、信長の遺骸はどこに消えたのか、という謎解きもしてみたい。ので、加藤廣の「信長の棺」を読んでみたいと思っている。疑問を持つと次々と読みたい本の世界が拡がっていきます。
  それにしても、江と信長の別れの場面はとっても好かったね。浅田次郎の小説に出てくる幻の主人公たちのようだったよ。「前に進め。そちは生きよ。」と江に信長の幻が語る乗馬のシーンでは、甘美なせつないメロディーをバックに泣けました。