神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

何故信長は光秀を追い詰めたのか(2)

macky-jun2011-02-08

 織田信長パワハラ明智光秀に向けられたばかりではなく、羽柴秀吉柴田勝家徳川家康やその外の家臣にも行なわれた。光秀への厳しい仕打ちは謀反話(本能寺の変)をストーリー付けようと、後世さまざまな講談・俗書・小説・映画・ドラマにて解釈が試みられたようだ。
 すなわち、部下の誰かが、上司信長との緊張関係に耐えられず、暴発する可能性を常に秘めていたといえる。その位、信長という男が目指していた天下布武(統一)というのは大事業であり、部下に厳しいプレッシャーを与え続け、粛清の嵐の中で統率をとることで初めて整っていったといえよう。たまたま最初にブチぎれたのが光秀であったともいわれている。
 実は本能寺の変には、光秀自身の野望説、怨恨説、四国征伐回避説、焦慮説、発作説があり、更に、朝廷や足利義昭イエズス会羽柴秀吉徳川家康の黒幕説のほか、諸説たくさんあり、日本歴史上最大のミステリーの一つと呼ばれている。歴史の真実は藪の中である。