神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

 白球を追って(10)-土曜日の午後の校庭の賑わい

macky-jun2011-02-25

  当時、学校は土曜日、毎週授業があった。純一は土曜日がものすごく好きだった。4時限の授業を終えると、思い思いの場所で弁当を食べ、午後の部活動に参加する。家から弁当を持参することもあったが、緑が丘の緑ベーカリーで焼きたての菓子パンを食べるのが楽しみだった。部活動は前半・後半と時間分けし、グラウンドを使った。狭い学校の知恵である。だから、後半の時はゆっくりとできた。よそのクラブの練習を覗きに行ったり、やはり後半の練習の子たちと語りあったりした。そうした憩いの時間が恋愛に発展したりもしたようだが、純一には縁が無かったようだ。
 土曜日は運動部の殆ど全てが活動をしていたから、それはそれは熱気があった。学年200人全校で600人の生徒がおり、その内、半分が運動部だとしたら、300人が動き回っているのである。ちなみに現在は学年50〜60人全校で170人だから、我々の時代の1学年の人数にもならないから寂しい限りである。多くのクラブが廃部となってしまったようだ。純一たちよりも10年前のベビーブーム世代は1学年で380人もいたから驚きである。最大で全校982人の時があったというから、さぞや賑やかであり、授業もクラブ活動も混乱したことだろう。
 どういう時代に学生生活を送ったかで、その個人への影響はかなり違うのだろう。その後の人格形成さえ変わってくるだろう。ベービーブーマーの時代は同期の人数も多く、競争も厳しかっただろう。部活動でもレギュラーポジション争いはまさに熾烈を極めたのだろう。かたや今の世代はどうだろうか。学年の男女各20数名という人数ではいったい部活動は成り立つのだろうか。例えば、学年でチームを組むとしたら、野球部とサッカー部で終わってしまうことになる。実際に運動をするのは半分くらいの生徒だろうから、どちらかのクラブが一つしか成り立たないだろう。
 公立中学の人数減少で学校の統廃合も為されているようだが、通学区域ということを考えると、むやみやたらとできない。多様性がいわれる時代なのに、多様な部活動さえできない現状はとても寒々とするものがある。純一たちが勉強よりもむしろ部活動で得たものの大きさを考えれば、今の区立中学生、後輩たちは可哀そうである。そう考えていくと、純一たちは何と幸せな中学時代を送れたのかと思う。あの土曜日の午後の校庭の賑わい、みんなのかけ声が聞えてくるような気がする。