神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

 白球を追って(13)-後記

macky-jun2011-03-01

  野球の面白さは勝ったり負けたりすることではない。勝敗というのはあくまで結果であって、ある意味どうでもいい。本当の面白さは、白球が青空に舞い上がって、その行方を皆が目で追いかける、ただそれだけのことにあるのではないだろうか。皆が一つのものを見て、一つのものを追いかけることに、面白さが凝縮されている気がする。
 急に、青春野球小説などと名打って、小説「白球を追って」を書き始めた。その前に「中学受験惨敗記」を書いていて、区立中→野球部創部とつながったこと、実はこれまで創部の話を詳しくは書いてないことに気づいたこと、加えて、ちょうど伊集院静の野球小説「ぼくのボールが君に届けば」を読み始めたこともあり、急にスイッチが入った。いつものエッセイ調では、自分の思い出に長々と付き合わせるのも、なんだかな〜と躊躇われたので、思い切って自伝的小説の形を取ってみました。 
 小説なので創作や多少の誇張はあってもいいのですが、自伝的に書いていると、どうしても事実から逸脱し、嘘をつくことに罪悪感を持ってしまいます。また、どこかで創作という名の嘘を入れてしまうと、話の前後の辻褄が合わなくなってしまいます。それを修正して、ストーリーを創りあげるだけの技術は、まだ持ち合わせていないようです。本当は恋愛や冒険的要素を盛り込み、ドラマティックな展開に仕立てた方が面白いのに違いないのですが、それはまたの機会にとっておきます。
 野球部創部の体験は、自分にとって鮮烈な記憶であり、大変貴重なものでした。それは入行した銀行での就活時の課題提出作文「これまでの人生での痛快な出来事」で、この話を書いたことからも分かっていただけると思います。それから、29年も経つのに、これに替わり上回るような痛快な出来事が現われないのも、寂しい限りではあります。しかし、この時の経験はその後の人生でも大きく影響を与えてくれました。難しい問題に直面した時も、あの時の経験からすれば、立ち塞がる壁はどれも大したことじゃないなと思えました。今でも折にふれ、勇気を与えてくれます。夢を諦めてはいけないとも学びました。題名の「白球を追って」の「白球」は「夢」と同義でもあります。
 考えてみると、部の立ち上げはベンチャービジネスと似ています。やりたいと思ったこと、正しいと思ったことを諦めずに追い続け、抵抗勢力に反発してしまうのは、現在の純一にも通じているようです。銀行に籍がありながら、キャピタリストであるからと髭を生やしたり、二足のわらじを履いて大学院の教壇に立ったりするのも、アナーキーであり、一脈通じるような気がします。要は「人間死ぬまで変わらない」ということでしょうか。
 野球部を共に創った仲間とF先生との交遊はその後も続いており、特に最近はその頻度が高まっています。たぶん、この先もずっと続いて、生涯の付き合いになるような気がします。つくづく純一は幸せな中学生時代を送ったなと思います。創部に関わられた多くの皆さまに、ただひたすら感謝です。