神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

藪の中

macky-jun2008-09-22

  芥川龍之介の小説に「藪の中」という有名な作品がある。つい先般もリーマン・ブラザーズの破綻の際に、同じく芥川の「蜘蛛の糸」を例に取ってみたばかりだが、今日は「藪の中」である。
 この話は古典に題材をとったミステリー仕立ての小話である。けれども、名探偵が快刀乱麻で解決する訳でもなく、まさに「真相は藪の中」である。この話の語り手は3人(多襄丸、男、女)いて、ある事件を三者三様の視点から、説明する点が特徴である。しかも、其々の証言が食い違っており、矛盾しているため、一つしかない筈の真実が、最後まで見えないのである。世の中には人の数だけ見方、見え方があり、誰の目にも明らかな真実などないのだ。芥川はそう言いたかったのだと思う。
 投資稼業をしていると、いろいろな方の話を伺う機会が多い。最近、複数の会社でたまたま似たような経験をしたのである。仲良く、事業を立ち上げて、苦労を共にしてきた経営陣メンバーが、何かのきっかけで袂を分かつこととなった。お互いにしこりを残しており、相手のことを憎悪とまでは行かぬまでも、良くは思っていない。両者の言い分を聞いてみると、其々ごもっともと思うのだが、一つ一つの事象の捉え方が微妙に違っていることに気づくのである。考え方の違いと言えば、それまでだが、同じ事象が違うように見えるのである。それが亀裂となり、修復ができないところまで関係が悪化してしまう。
 考えてみれば、同じ人間なれど、住んだ所も違えば、生きてきた時間も違う。勿論、親も違えば、付き合ってきた人間も違う。読んできた本も違えば、経験したことも違う。好きなものも違えば、考え方も違って当たり前だ。もっと言えば、持って生まれたDNAや遺伝子も違うのである。そうなれば、物の見え方も感じ方も違って当然である。
 さすれば、その違う個人の主観が混じるから、一つの事象に対して微妙に見方がずれ、複数の見解が生まれる。たぶん、真実はその間にあるのだろう。