神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

浅田次郎講演会

macky-jun2009-11-03

  今日、浅田次郎さんの講演会に行ってきた。上智大学のソフィア祭の行事の一つで、14:00から開演であったが、13:00頃から並んで入場した。この講演会は11/1に神保町での神田古本まつりで、上智大の学生さんが街角でビラを配っており、知ったのだった。私が現代の作家の中では最も尊敬している、他ならぬ浅田先生の講演会である。さしたる予定もない。まして無料である。同じく浅田次郎ファンであるjyakuchuさんを誘い、行くことにした。
 午前中はジムに行き、歩いて、待ち合わせの四ッ谷駅まで行き、こうやでラーメンを食べ、上智大学の賑やかなキャンパスに向かった。開演1時間前というのに、既に行列がかなりできていた。学生はあまり居らず、年輩の読者ファンが多かった。タイトルは「小説家のこだわり」であり、内容がぎっしり詰まった、充実した講演であった。浅田次郎は小説もエッセイも上手いが、話も実に巧かった。
 彼がまずこだわることは、「手で書く」ということ。これが小説家になるための最も大事なポイントであると、強調していた。美しい日本語とは、和歌・俳句であり、少ない文字の中に如何に大きな世界を描けるか。今の作家の作品はPCで書くのでやたら長くなり、文章の中身は骨粗鬆症でスカスカである。老子の言葉を引用し、「天下に忌諱多くして、民いよいよ貧しく、天下に利器多くして、国いよいよ暗し」便利な機械は人間の力を失わせると言っていた。3行になるところを集中し1行で書く。
  小説家というのはなりたい人はとても多いが、まともに食べれる人はわずかに50人である。役者や歌手よりも難しい。医者が20万人もいる、大学教授もあまた居る。如何に小説家になるというのは難しいか。全国に新人賞は200以上もある。吉川英治新人賞や山本周五郎賞を取ったら有望で、直木賞なら大丈夫。だけど、芥川賞なら大丈夫とはいえない。だから、新人賞を取ったからと言って、職を捨てて、作家のみになってはいけない。作家はそもそも儲からない。まずは働きながら書いて、投稿を続け、編集者に名前を覚えられるまで継続すること。志がないと続かない。年齢は関係ない。ハンディもない。強いて言えば、境目は40歳。自分も40歳でデビューした遅咲きであるが、外にも松本清張井上靖がいる。
 「畳、お膳、着物(作務衣でも可)」にはこだわる。歴史小説などを書くときは資料が沢山いるので、畳のように360°置けるスペースが必要である。万年筆、原稿用紙にもこだわる。
 中学の時から小説家になろうと思っていた。自分はいろいろな職業を転々としたと紹介されるが、違っている。アパレル業の会社に入り、独立し、5年前まで秘密でアパレル会社をやっていた。初期はヤクザ物を書いていた。自分が書きたいものを書いたのは「地下鉄に乗って」が初めてであり、実質的なデビュー作である。しかし、作品に好き嫌いはない。今度書く作品がベストだと気慨をもってやっている。強い意志を持っていなければ、ものを創る資格はない。文庫になった時、直すことは主義としてやらない。人間は成長していくと共に、失っていくものもある。だから、過去の自分に対する敬意を持っているから、直すことはしない。
 1日1冊読むこと。4時間あれば読める。時間は作るもの。必要でないことは止める。携帯メール、テレビ。自分も一時書くことに一生懸命で、読むことを忘れていた。今は6時起床10時就寝の、自衛隊勤務以来の生活で、そもそも有史以来の時間帯である。朝は最も頭がクレバーであり、起きぬけの原稿が一番いい。午前中執筆し、午後は読書。酒は一滴も飲まない。前回飲んだのは30数年前の三々九度の時である。酒のない夜は暇である。最後に、負けず嫌いで、己に克つこと、人生は挫折の連続であるが、志を持ち続けること、と語り結んだ。
 外にも、純文学と大衆文学という分類をしているのは我が国のみで世界的には例がないとか、良い小説とは尻上りに面白くなっていく小説で、谷崎潤一郎がいい例とか、とても有益で、楽しい講演であった。プロ意識が強く、想像していたよりもずっと生真面目で硬派だった。浅田次郎をますます好きになれたことが、今日の講演会に出席しての収穫だった。もっともっと彼の作品を読みたいと思ったのだった。その後、四ッ谷駅の反対側の「鉄板酒場鐡一」で、jyakuchuさんとビールとホッピーを飲みながら、浅田次郎のことを語り合ったのだった。