神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

ボルティモア・オリオールズの思い出から

macky-jun2008-09-15

  昨日は野球について書いていたら、かつての野球狂の虫が疼いてきたので、今日も続いて書いてみたい。北京オリンピックでの星野ジャパンの惨敗で、さんざんであった日本野球であるが、今日はそうでもないぞということを書きたい。
 今日の野球のレベルは、特に日本人野球選手のレベルは昔と比べて格段に上がっていると見ている。日本人メジャーリーガーの活躍が、トップクラス選手の日米野球のレベル格差がそんなになくなっていることを証明してくれている。小生が15年前に「日米野球のレベルが縮まっている」ということを言ったら、猛烈に反発され、馬鹿にされたことがあった。
 昔からシーズンオフになるとやってくる、日米野球戦を子供の頃からずっと観ていたのだが、中学の時(1971年)にやって来たボルティモア・オリオールズがとても印象的であった。ワールドシリーズを制したこのチームはナリーグ・アリーグ両方でMVPとなり、後に黒人初の大リーグ監督となったフランク・ロビンソンを筆頭に、ほかにもう一人のロビンソン、ブルックス・ロビンソン(まさに長嶋茂雄のような派手な選手、やはりミスター・オリオールズと呼ばれていた)に、強打者パウエルを擁していた。他にもこの後に、日本でプレーをすることとなったデーブ・ジョンソン(元巨人、北京オリンピックでの米国チーム監督は記憶に新しいところ)、褐色の弾丸ビュフォード(元太平洋クラブライオンズ)がいた。ピッチャーがこれまた凄くて、20勝投手をなんと4人も擁していたのだった。ジム・パーマー、マクナリー、パット・ドブソン、(もう一人がどうしても思い浮かばない)等だった。
 このチームと日本側は巨人を中心に、全日本や巨人と他のチームとの混成チームとして、18戦も戦ったのだった。普通、ワールドシリーズも終わり、祝勝旅行として物見遊山で来ているので、手抜きプレーをするのかと思うのだが、ボルティモア・オリオールズは違っていた。結果は日本側がわずか2勝のみ、勝てたのが全日本チームで1勝、巨人・中日混成チーム(嬉しい!さすが中日)で1勝できたのみだった。大リーガーの強さ、豪快さ、格の違いを思い知らされた日米野球だった。この頃の巨人はV9後期で、全盛期だったにも係わらず、巨人単独としては1勝も出来なかったのが印象的だった。
 オリオールズに関してはとても素晴らしい個人的な思い出がある。このシリーズの試合を後楽園に観に行って、そこでオリオールズのマスコットキャラクターとなる「むく鳥」のスタンプが押印された記念ボールを購入した。それを持って、野球部の仲間Tommy君たちと、オリオールズ選手団の宿泊先であるホテル・ニューオータニを無謀にも訪ねたのだった。大人の常識からすれば、考えられない無鉄砲な行動だが、なんと正面玄関でベルボーイをされていた方がボールと色紙を預かってくれたのだった。
 数日後、その方から電話をいただいた。選手のサインを貰えたとのことであった。オリオールズ選手のサインは無論のこと、嬉しかったが、そのホテルのベルボーイの方の対応が素晴らしく、今でも深く印象に残っている。お会いして、あらためて感謝したいくらいだ。少年との約束を大事に守ってくれる、ホテル・ニューオータニのホスピタリティーは素晴らしいものだ。このホテルに対しては、それ以来ずっといい印象を持ち続けている。いつか恩返しをしたい。
 話はだいぶ横道に反れてしまったが、37年前のオリオールズのような圧倒的な強さから比べると、最近の大リーグはそうでもないぞと感じたのが、仲間から反発された10数年前だった。その頃の大リーグチームは日本チームに負けることが多くなっていた。大リーグがチーム数を増やしたことによるレベルダウンもあったが、全国隈なく、潜在力を持った選手を発掘する日本プロ野球のスカウト陣の活躍もある。優秀なスカウトなかりせば、オリックスの4位指名であったイチローは日の目を見ることはなかったかもしれない。
 2年前のWBCでの日本チームの劇的な優勝はレベルアップを証明した大きな出来事であった。だけど、1次・2次ラウンドで韓国に2度負けたように薄氷を踏むような勝利だった。北京オリンピックでは4位に甘んじた。野球レベル格差は各国で縮まっているというのが現状の姿なのだろう。
 ちなみに頂いたサインボールにはかの名選手フランク・ロビンソン、日本戦でもノーヒットノーランを演じたパット・ドブソン、捕手エチェバーレンの3選手のサインが書かれており、写真のように我が家の家宝として大事に保管されています。