神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

清水佑三さんに捧ぐ(その2)

macky-jun2008-04-15

  清水佑三さんと初めて出会ったのは、今から12年前になる。日本SHLという会社の社長をされておられた。まだ売上高2億円、赤字でしかも債務超過。金繰りも厳しい状況にいる会社の社長だった。初めは当時取締役総務部長だったYさんが、突然、前身のベンチャーキャピタル会社にいた私を訪ねて来られた。当然、斯様な業績だったのでピンと来ることもなく、その日はお帰り頂いた。
 その後、半年ほどして、またYさんからアプローチがあった。セミナーをやるので一度遊びに来られませんかとの事だった。何故か行く気になって、新中野にある本社を訪ねた。狭い会場には大企業の人事部の幹部が30人程、集まって盛況だった。そこに現れたのが清水さんだった。これが清水さんとの初めての出会いだった。清水さんのセミナーは型破りで、落語やトークショーを観るような面白さで、直ちに釘づけになった。単に面白いだけでなく、論理的にかつアカデミックに説明されるので、知的な興奮をも得ることができた。これが企業向け研修かと驚いた。参加している人事部長や課長が夢中になっているのがわかった。
 キャピタリストとしては俄然興味が湧き、さっそく投資検討に入った。足元実績は前期赤字でありながら、月次売上は着実に前期実績を上回っていた。また、予実管理がマメになされているのが好印象だった。それもそのはず、管理をされていたYさんは元我々VCのライバルで最大手のJ社の課長をやっていた人物。当然ながら、VCがどこを見るか、何を気にするかということを全て分っていたのだ。
 紹介が遅れたが、日本SHL社は英国SHL社の出資を受ける外資系で、企業への採用適性テスト、人事コンサルティングを行なう会社である。1987年に設立されたが、当初、文化放送ブレーン社との合弁で日本でスタートした。西洋流の合理性を追求するシステムはなかなか日本では受け入れられず、上手くいかなかったが、93/10に清水さんがMBOを行ない、社長に就任。清水さんは文化放送ブレーン社でも専務として、同社の公開を経験された人だった。
 慶応義塾大学工学部、同大学院修士終了で、大学卒業時は金時計を貰ったという秀才である。元々、応用統計学を修めておられ、SHLの心理学と応用統計学を合成した学問をベースとしたPsychometricsを生涯の研究テーマとして、かつビジネスとされた人である。学問というのは社会的に有用でなければ、単なる学者の自己満足であり、何の役にも立たないと私は考えている。その点で、清水さんは自身の学問的テーマとビジネスを一致させた凄い人であると尊敬している。 
  一方で、親会社のSHL社の人事・採用システムは世界中で成功しているシステムで、親会社の業績は良好、近々London市場に上場するとの噂だった。当時、私は外⇒内ビジネスというのを投資のテーマとしており、海外で流行ったものはタイムラグを置いて、国内でも流行ることが多いとの法則性に目をつけ、ビジネスを発掘していた。そのテーマにこの会社がピッタリ、合致したのだった。
 日本の雇用形態が大きく変容しつつあり、終身雇用、年功序列といった慣習が崩壊していった。今後、成果主義であるとか雇用の流動化であるとかが起こりつつある、日本の人事制度そのものが大きく変革する予兆を私は強く感じていた。また、採用テストの市場では「対策本」の出現で圧倒的なシェアを持つリクルート系のHRRのSPI離れの傾向があった。
 環境を見渡せば、当社にとって有利な材料がけっこうあるものの、あまりにも当社の過去の業績、財務内容が悪く、当初、社内では反対されたのだった。ここから、何としても案件を通そうとする私の孤軍奮闘の戦いが始まる。(続きは次回をご期待下さい。)
 写真は前のオフィスの最終日。日本橋のコレドの裏の広場を上から撮影したものです。これから、暖かくなってくると、ここでランチを食べる人が増えるのでしょうね。