神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

東京大空襲

macky-jun2008-03-10

  昭和20年の今日、東京大空襲があった。今から63年前になる。TBSで9:00PMからドラマ「シリーズ激動の昭和 3月10日・東京大空襲」をやっていて、凄い衝撃を受けた。ドラマを観ながら「アメリカの野郎め、ふざけんな!」と何度も叫びながら、涙を浮かべざるを得ないショックだった。
 警察官写真係石川光陽の物語だ。当時、彼は41歳。3月10日の凄惨な東京大空襲の地上の様子をマスコミは固く撮影を禁止されていたが、警視総監の特命により唯一撮影を行えた人物だ。33枚の写真の真実を後世に残した。戦後、GHQからネガを渡すように迫られたが、断固として拒絶し、庭の坪に埋めてネガを隠し、残すことに成功した。
 彼がライカを持ち、空襲の残骸の中を真っ黒焦げになった遺体に、一枚一枚、頭を下げながら手を合わせ、シャッターを切っていた姿が印象的だった。さぞつらかっただろう。硬派仲村トオルが適役だった。
 戦争は人間を変えてしまう。ドラマでは当時爆撃に加わった米軍戦闘機の乗組員の生き残りに対しても執拗にインタビューを行ない、石川光陽の写真を見せるのだった。指揮官のルメイという奴がとても憎たらしい顔をしていたが、彼になってから日本への強硬姿勢がとられたという。タイミングもあっただろうが、どうしても憎まざるを得ない。彼は作戦を無事果たし、その功績で空軍参謀総長まで上り詰めたらしい。驚いたのは日本国として、こいつに対し、その後、勲一等旭日大綬章を上げたという事実にはぶっとんでしまった。また、時の首相がノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。何という皮肉だ。何でも自衛隊の創設に功績があったとかの理由だったかと思う。最も憎むべき相手なのにね。日本って国は、忘れっぽくて、全て水に流してしまう、何ともはやお人好しの民族なんだろう。
 このドラマを観ると、アメリカ憎しという気持ちにならざるを得ない。また、広島、長崎に比べ、東京大空襲に関する慰霊塔や施設は粗末だ。関東大震災と一緒にされていたり、犠牲者数が推定10万人(正確には不明)という数にも拘らず、あまり東京では触れたくない過去の事実というような気がする。早乙女勝元さんが書かれた本が有名だが、原爆の広島、長崎に比べ、確かに真実はあまり知られていない気がする。戦後GHQがそうした方針を執ったとしても、日本サイドでも何故避けていたのだろうか?安保政策を始めとしたアメリカ寄りの外交政策を取ってきたため、敢えて歴史の真実を封印しようとした為だろうか?
 東京の下町は関東大震災に加え、東京大空襲でこのような凄惨な被害を受け、その土地に亡くなった人々は成仏できたのだろうか。この凄惨な出来事がいつまでも都市開発の障害になっているようなことはないのだろうか。
 いろいろなことが考えさせられるテーマであり、頭にきて今日はなかなか眠れそうにない。