神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

神楽坂のちゃんこ料理屋にて

macky-jun2010-03-13

 昨晩は先輩のMさんと神楽坂毘沙門天脇にある「ちゃんこ黒潮」で飲んだ。僕のブログを読んで、親父が倒れたのを知ったMさんがメールをくれたのがきっかけだった。彼も3年前に母親がやはり脳内出血で倒れ、父親が認知症で、介護を既に体験されていた。自身の体験談をいろいろと聞かせてくれ、とってもためになったのだった。頑張りすぎると共倒れするので、親にも頑張るべくは頑張ってもらい、周りと協力しながら、楽しみながらゆったりとやればいいというようなことを言ってくれた。
 白洲正子「鶴川日記」という本をプレゼントされた。私がときどきブログで神楽坂の坂の話を書いているのを思い出して、わざわざ持ってきてくれたのだった。その本には白洲次郎・正子夫妻の住んだ鶴川の話ばかりでなく、「東京の坂道」と題して12編と「心に残る人々」として9編の随筆が収録されている。白洲正子は随筆家としてもいくつもの作品を書いている。
 Mさんとは20代の後半から30代前半にかけて、一緒に仕事をしたことがあった。国際営業第2部というセクションで、在日外資系企業への営業を担当した。私が新潟・ドイツを経て、初めて本店に勤務することになった。当時の私は本店も初めてなら、営業も初めてで知らないことばかりだった。おまけに東京育ちながら、都心の街の地理には疎かったので、まさに御上りさんだった。1年先輩のMさんは親切にいろいろと手ほどきをしてくれた。
 在日外資系営業という外国人を相手にしなければならない仕事でもあり、尻込みする私を帯同訪問してくれ、背中を押してくれた。英語力の足りなかった私は、八重洲にある語学学校で早朝レッスンを受けることになった。そして、夜は夜で、連日深夜までの残業が続いた。毎日、眠くて仕方がなかったのを覚えている。一方で、よく遊び、遅くから更に深夜まで飲みにくり出し、休日は上司の名前を冠したゴルフコンペを主催した。
 このコンペには毎回チームメンバー以外に、同期生に声をかけ、他部からのゲストを招待した。成果として、当時一緒に働いたこのチームの女性延べ7名の内、4名がこの時のゲストメンバーと次々に結婚したのだった。ある日突然、其々知らされ、アッと驚いた。キューピッドの役割も立派に果たしたようだ。泊り込みのコンペにもよく行った。いまの職場事情からすれば、考えにくい、呑気な、古き良き時代であった。 
 ちなみに私はMさんの結婚式の司会をやらせて頂いた。新婚家庭にお邪魔し、泊めて頂いたこともあった。司会のお礼に頂いた図書券で買った広辞苑は、いまも机の上にあり、私の知識不足を補ってくれている。青春時代の楽しい思い出を共有させていただいた。Mさんはグループ証券会社で、M&Aビジネスに10数年間ずっと関わっており、この世界のトッププレイヤーである。この度、めでたく役員就任が内定した。昨晩はささやかな、祝いの席でもあった。
 「ちゃんこ黒潮」は佐渡が嶽部屋の元琴黒潮関が10数年前に開いたお店で、神楽坂に住む者としてずっと気になっていたお店です。カツオのたたきとちゃんこ鍋、残り汁で作ってくれたうどんがとても美味しかった。楽しく飲んだ翌朝の、ホンワカした気分が今も残っており、幸せ心でこのブログを書いている。