神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

セルフイメージとのgap

macky-jun2010-11-25

  風邪をひいたのか、具合が悪く、わざわざジムの支度をして重い鞄を持っていったにもかかわらず、諦めて帰ってきた。日曜日に慣れぬ大掃除をした為か、妻から風邪をうつされたか、昨日出たセミナーの話があまりにもつまらなくて居眠りをしてしまった為か・・・理由はわからない。昨晩は旧友でもあるW先輩と、神楽坂の「黒潮」で美味しいちゃんこ料理を食べ、栄養補給は充分な筈なのに、いったいどうしたものか。
 さて、浅田次郎の「ハッピー・リタイアメント」を読み終わったが、面白い一節があったのでご紹介したい。「どれほど視力に自信があり、どれほど注意力にすぐれていても、けっして自分の目に見えぬ人間が世界にただひとりだけいる。ほかでもない自分自身である。だからたいていの人間は、自分が最も華やいでいた時代の姿を心の鏡にとどめて、誰の目にもそう映っているにちがいないと誤解している。その錯覚に気付いてさえいれば齢なりに尊敬もされ、大人になることも美しく老いることもできるのだが、それはなかなか難しい。」
 セルフイメージというものであるが、誰しも皆、自分を過信している。最も良かった時のイメージをいつまでも引きずっている。スポーツをすると、若い時の最も体が動いた時のイメージを脳は持ち続けており、ついつい無理をして、アキレス腱を切ったり、捻挫をしたりする。
 電車のガラスに映った白髪混じりの皺だらけの老人を見て、それが今の自分と気付き、愕然とする。ゴルフコンペのプレイ後の風呂場で、随分と爺さんが入ってきたなと思って、よく見ると後輩だったりする。裸なのですぐ気付かないのだ。自分も同じように見られていることだろう。みなさんは似た経験をしていないだろうか。
 最も華やいでいた時代の自分。人によってそれは多少違うだろう。しかし、いつまでも黒髪のフサフサした頭ではいられないし、スリムな若々しい体型を維持するのも至難の業だ。頭脳明晰、記憶力抜群もいつまでも続かない。簡単に出来ていた暗算もできなくなり、ちょっと前の記憶さえ怪しい。もちろん、若い頃のように走ることはできないし、持続力もない。すぐ疲れてしまう。・・・と、ざっと書いただけでも、加齢による衰えは至るところに現われている。
 ならば、老いるということを前向きに明るく受けとめてしまおう。衰えていく自分を変化として、楽しんでしまおう。年齢を重ねることで、いろいろな経験をしている。その経験というのは楽しいこともあったし、辛いこともあった。だけど、全て自分の糧になっていると考えれば、老いることも楽しめると思うのである。