神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

佐野書院にて

macky-jun2009-06-07

 昨日は大学ワンゲル創部50周年記念OB総会が、国立佐野書院で開かれた。今年は130名も出席しており、例年50数名の出席だったから、如何に多かったことか。これも思い出のある国立で開催されたからだ。OB・OG総数が360名なのでとても出席率が高かったと言える。総会会場は補助席もいっぱいで座り切れない程だった。また、佐野書院は1300坪の広い敷地に建つ、現代的センスの和風ゲストハウスであり、1994年に改築されたらしい。
 総会にて各種活動報告・会計報告がなされ、山小屋関連報告、現役部員の紹介、創部50周年記念誌発行、等の議事で進んだ。創部当時から部長を務めて頂いた川口先生から挨拶のスピーチがあった。73歳になられたそうだが、30年前と変わらぬ若々しさで、今でも一週間に1万mを泳いでおられるらしい。最後に玄関前で大人数の集合写真撮影を行ない、ホールにて立食パーティーとなった。上の年代から10期ほどの先輩各氏のスピーチがあり、我が部の部歌でもある山の歌「信濃の恋歌」を合唱し、いったん解散。5時半から場所を変え、駅の近くの居酒屋「天政」で2次会となった。
 その間、キャンパスに行き、現在の部室を見学。我々の頃の部室は火災で焼失してしまったので、今は本館校舎の近く学食の隣に立派なクラブハウスが出来て、一階ではオーケストラの女子学生が管楽器の練習をしていた。部室はやはりとても汚くて、雑然と物が置かれていた。テレビやテレビゲーム機、コミック、炬燵まであったのは当世学生気質か。我々の頃も使っていた古い机が中心にあったのは懐かしかった。
 旧部室のあった東キャンパスにも行ってみた。この日は小平祭という前期学生の学園祭をやっており、賑やかだったが、元クラブハウスのあった場所は空き地となっており、草が生い茂っていた。あらためてこのキャンパスは美しいなと思った。絵になる被写体が沢山あり、デジカメのシャッターを何度もきったのだった。
 「天政」の2次会も60数名と半分くらいが出席し、盛況だった。各代が自己紹介で挨拶し、若手の芸ありで、学生時代を彷彿とさせるような盛り上がりだった。我々57年卒組は4名の出席だったが、残念ながら前後の年代はあまり参加されておらず、3年上の54年卒の先輩が多数居られ、一緒に楽しく飲んだのだった。この後、同期4人と1年上のNさんと、昔からあるロージナ茶房に行き、パスタとピザで生ビールを飲む。
この日、感動したことが幾つかあった。一つ目はこのような組織運営が為される、レベルの高い組織であること。二つ目が我々の心の故郷である威守松山小屋(新潟県南魚沼郡清水の巻機山山麓在)へのOBたちの熱い思いである。特に創部初期の先輩たちは初代山小屋の建設に当たって、アルバイトをしてその資金を貯められた。OBとなってからも初代ばかりか、2代目山小屋建設に対しての寄付もされたこと、に強く感動を覚えたのである。このような多くの人たちの思いを受けて、今日のWV部がある。
 この日はまた、国立の街を存分に味わえた一日でもあった。この晩、A君と小金井の実家に一緒に帰り、泊まっていく。彼は東京に逆単身なのだ。学生時代に何度も我が家に来ており、お馴染でもあった。両親も昔に戻ったようで、嬉しそうにしていた。サッカーワールドカップ最終予選ウズベキスタン戦を観戦する。出場が決まった記念すべき夜ともなった。