神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

キャピタリストへの別れ

macky-jun2012-07-10

 今日、一つの時代が終わった。これは私にとってはもの凄く大きな出来事であり、何しろこのブログのタイトルさえ変えなきゃならないんだ。永らく黙っていたのだが、今日がベンチャーキャピタリストとしては最後の出勤日となった。1カ月以上前から分かっていたものの、いざ外に出るとなるととても忙しない。特に7/4に発令を受けてからはあっという間の一週間だった。
 引き継ぎは徐々にやっていたものの、残務処理、資料の整理・廃棄、挨拶回り、身辺のモノの処分・・・。この会社にちょうど丸9年、前身のVCを併せれば略14年、銀行に入ってから社会人生活が30年ちょっと。約半分近くをベンチャーキャピタリストとして活動してきた。流石に資料もたくさん有るはずである。最後は思い切りよく、キャビネット3つ分の資料を大胆に廃棄、名刺箱もバッサリ捨てた。仕事用のノートは数十冊もあった。
大量の資料を整理・廃棄していて思ったことがある。VC時代に投資を行なったのは62社であったが、投資検討を行ったのはその10倍以上もあっただろう。単に接点を持った経営者や企業は更にその何倍もあろう。具体的に数えたことはないが、とても多くの企業と接触をしてきた。それら企業の資料は膨大である。中にはもはや存在さえしない企業もたくさんある。思い出に浸る時間の余裕も無く、バッサバッサと廃棄した。投資に至り、その企業がIPOを実現し、我々にキャピタルゲインをもたらしくれるのはほんの一握りである。多くの企業はその夢を実現することなく、敗れ去る。
 膨大な資料の山を見て、何と無為な作業を繰り返してきたかと呆然としてしまった。確かに多くの企業や経営者に接触することで、目が肥やされることはあろう。しかし、それに費やされた時間を考えるととても無駄な時間の消費だったようにも思う。
 1993年からこのVCの世界に入り、途中5年間銀行に戻りブランクがあったが、再び2003年からこの世界に舞い戻ってきて、略14年間の長い時間だった。この間、いくつかの山と谷を経験してきた。1997〜98年の金融恐慌、2000〜01年のITバブル崩壊、2004〜05年の新興市場バブル、2006年のライブドア事件以降の新興市場崩壊、2008年のリーマンショック・・・いろいろなことがありました。このビジネスの教訓として思ったのは、いい時には一気呵成に攻めること、駄目なときはいくらやってもダメなこと。じっと風向きが変わるのを我慢強く待つのも大事だと思いました。市場ビジネスの特性ですね。この間、楽しい思いも、辛い思いも、情けない思いも、いっぱいしてきました。しかし、時代と経済環境のうねりの中で、総じてとてもいい経験ができたと思っています。
 来月から一般の事業会社に転出することになりました。私の好きな本やエンターティメント系コンテンツに関わる流通系企業です。ここで財務や経営企画の仕事を行なうようです。これまで銀行やVCのカウンターパーティーとして相対してきた向こう岸の立場です。立ち位置が変わることで、そこからどんな風景が見えるのかとっても楽しみであります。
写真は帰り道の春日駅ホームで、愛用の鞄と送別で頂いた花束を撮ったものです。