神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「泥の河」

macky-jun2011-09-19

  懐かしい映画を観た。1981年の「泥の河」だ。大学生の時、銀座並木座に一人で観に行って、とても切ない映画だった記憶がある。その後、観たことがあるかは覚えていない。小栗康平監督の第1回監督作品であるばかりか、原作宮本輝の処女作品でもある。小栗監督は30年間で5作品しかなく、1作1作を丁寧に作る人のようだ。
 昭和31年の大阪が舞台で、堂島川土佐堀川が合流する河口に暮らす大衆食堂の息子信雄と、舟で暮らす家族の喜一と姉の銀子の少年少女たちの出会いと別れを描いたひと夏の哀しい物語である。時代は戦争の傷跡がまだ癒えず、高度成長に入る端境期に当たる。我々が生まれる少し前の時代を、その当時撮影したかのように白黒映画で、巧く演出し時代感を出している。
 8歳の少年(信雄、喜一)と11歳の少女(銀子)たちの交流がなんとも瑞々しい。そして、銀子との関係では年上の女の子に感じる思慕とエロチシズムが交錯しており、少年の微妙な感覚をうまく描いている。信雄が廓舟で男に抱かれる喜一たちの母笙子(加賀まりこ)を目撃してしまうシーンは哀しい。妖艶な加賀まりこの信雄を見つめる目がなんとも哀しいのだ。
 その翌日、喜一たちの舟は別れも告げず、姿を現すこともなく立ち去ってしまう。いつまでも「きーちゃん」と叫びながら、舟を追いかける信雄。別れも何とも哀しい。この少年、少女たちのその後の人生はどんなものであったのか。いろいろと考えさせてくれる、よく計算された素晴らしく深い映画だ。父晋平(田村高廣)の温かい眼差し、母貞子(藤田弓子)の逞しくも大らかな人柄・・・が印象的だが、この夫婦も戦争からの帰還、略奪愛であったことなど、過去に傷を負っていることが暗示される。
 家にあった原作を読みたくなって早速読んだ。86ページの短編であるが、映画とは多少内容が違うが、骨格となるストーリーは同じだ。原作では晋平が舞鶴に行く話や、死の床にある女性に会いに行くシーンはない。貞子の喘息の療養も兼ね、食堂をたたみ、新たな事業を始める為に新潟に行くことになる。しかし、映画に負けず劣らず、宮本輝の原作も素晴らしい。