神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

自分大好き人間

macky-jun2011-03-02

  今日、取引先で打ち合わせをし、自分の論理を相手にしっかりと分かって貰いながら、建設的な議論をしてきた。溌剌と地下鉄駅に向かい帰りながら、ひょっとしたら自分はこんな自分のことが好きなのではないかと思った。自分の頭や体やこれまでの経験、すなわち心技体の機能をフルに使えた時、感じる感覚でもある。
 その時、昨日から社会人になり、今頃、新人研修を受けている娘のことを思った。そう、我が家の娘は”自分大好き人間”である。ポジティブで陽気な娘は、自分のことが好きでたまらない奴である。奴と話していると、そうしたことを節々に感じる。
 だけど、今日実感したように娘ほどではないにせよ、俺も自分のことがかなり好きなんだろうと思ってしまったのだ。もっと優しく、気配りができ、金持ちで、稼ぎもよく、背も高く、ルックスも良く、力もあり、頭も切れ、女性にももてる。そんな人間になりたいと思っていた。どれもこれも、俺は中途半端であり、理想型からは程遠い。だけど、少しでもそうなりたいという気持ちだけは失っていない。心技体の充実した人間になりたいと思っているのだ。
 現実にそうはいかないが、それに向かって努力をしている、頑張っている自分が好きなのだろう。ジムで汗をかいてトレーニングしている自分が好きである。失敗をして、取引先に謝っている、潔い自分も好きである。これまで順調にエリート街道に足をかけたこともあったし、奈落の底に落っこちたこともあった。浮き沈みのある人生でもあった。挫折を経験して、また這い上がる。満身創痍である。そんなタフな自分が好きである。自分と関わりのある人に幸せになって欲しいと願う。そんな人を思いやれる自分も好きである。だから、昔のことを今更思い出して、小説化してみたのだろうと思う。
 小説「白球を追って」には多くの人からご感想を頂けて嬉しかった。今日、頂いたメールで「清々しく最終稿を書き終えましたね。自分の中にある何かと決着をつけることができたのでは?」とのご意見があった。さて、「自分の中にある何か」とは一体何だろうか?と考え込んでしまった。輝いていた時の自分をあらためて見つめ直し、また自分にエネルギーを注入したかったのかもしれない。