神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「東京奇譚集」を読んで

macky-jun2011-01-21

 村上春樹の「東京奇譚集」を読み終わった。と言っても、5編の短編集なので通勤電車の往復で、少しずつ読み進んだ。村上春樹はまだ「ノルウェイの森」に続いて2作目なので、まだよくわかったわけではないが、読みやすい、それぞれ惹き付けられる話である。長編の後は短編を読んでみようと思ったこと、タイトルに惹かれたことが、この本を選んだ理由だろうか。どの順番でどういう本を読んでいくのかというのは、結構大事なポイントである。そういう意味ではあまりメジャーでない作品を今回は選んだ。
 帯に書いてあることに依れば、きたん[奇譚]<名詞>:不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語。先程読んだ浅田次郎の「あやし、うらめし、あなかなし」の様な小説を連想した。
 5編からなる話は「偶然の旅人」「ハナレイ・ベイ」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「日々移動する腎臓のかたちをした石」「品川猿」という変わったタイトル。人によって好きな話はかなり違うが、私は「品川猿」が一番出来がいい作品だったと思った。前4作は月間「新潮」に2005年3月から6月まで毎月連載されていたが、この「品川猿」のみこの単行本出版に当たっての書き下ろしである。
 名前をときどき忘れるようになった女性がカウンセラーに相談をする過程で、学生時代にあったある事件に辿り着く。それに関わる名札の喪失がこの症状の原因であった。エンディングは意外な犯人が現われる。こうした深層心理に入っていく、しかも後輩の自殺・・・どこか「ノルウェイの森」を連想させた。
 次に面白かったのが「どこであれそれが見つかりそうな場所で」だ。マンションの階段の途中で失踪した夫の話であるが、妻と探偵と思われる私の会話がとても繊細な描写が面白かった。村上の小説には「メリル・リンチ」とか「ホンダ」とか具体的な社名が登場するのが、イメージを掴み易く、とてもいい。これが架空の会社だと、また違うのだ。エンディングは物足りなかったが、その過程を楽しめた。
 「ハナレイ・ベイ」はサメに食べられてしまい、死んだ息子を偲び、滞在する中年女性サチの話である。目覚ましい展開があるわけでなく、淡々と話が進むだけであるが、JAZZピアニストのサチの弾く音楽とカウアイ島の風景がマッチした、乾いた環境音楽のような小説である。ハナレイ・ベイは前に家族と夏休みを過ごしたことがあり、懐かしかった。
 「偶然の旅人」は偶然の一致を扱った話だ。JAZZバーで作者が心の中で思ったレアな曲を偶然にも2曲ともトミー・フラナガンが弾いたこと、隣に座った女性が自分の読んでいたディケンズの同じ小説を読んでいたこと、知り合った女性が姉と同じ所にホクロがあり、同様に乳癌を患っていたこと。我々の周りでもありそうな不思議な話だと思った。
 「日々移動する腎臓のかたちをした石」は若き頃の作者と思しき小説家と謎の女キリエの話。女医が主人公の表題の話を書くのだが、どこに意図があるのかよくわからなかった。
 ある方がこの短編集を通して「受容」がテーマであると書いていた。悪しきもの、忌まわしいもの、忘れてしまいたいこと、受け入れがたいこと、それらを受け入れることで、自分にとって害悪となっている人の心のマイナス部分を減少させることができる。つまり、この本は”人の心の不思議”を書いたものであり、「害悪(感情)の受容という文脈」として読むとより共感できると書かれていた。
 成程、そうかもしれない。受け入れがたいものを受け入れるのには、理想を捨て、諦めにも似た覚悟がいる。自分の心さえ、よくわからず、日々揺れ動いているのだから、他人の心の中味までは本質的には見えないかもしれない。まことに人の心とは摩訶不思議である。