神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「納棺夫日記」を読んで

macky-jun2011-01-11

  友人から本をいただいた。青木新門氏の「納棺夫日記」である。映画「おくりびと」が生まれる元になった本と言えば分り易いだろう。さはありながら、私自身は映画「おくりびと」はまだ観ていない。始めに読んでくれと渡された時はピンとこなかったのだが、読み進むにつれ、私の興味のある世界につながることがわかった。この友人とは一緒に仏像展を見にいったこともあるし、寺を見て廻ったこともある。私の読書傾向も性格もよく知っているので、この本を薦めてくれたのだと合点した。
 作者の青木氏は雪国の葬儀社で納棺を職業とされている方で、こうした職業の方が書かれた文章というのは極めて珍しいようだ。文庫で150ページちょっとの短い作品ながら、仕事をしながら、これを5年がかりで書き上げた。ページ数は少ないが、とても重量感のある作品であり、作者がこのために相当な勉強をされたのがわかる内容だ。いや、この作品の為ではなく、彼が行き着いた納棺夫という職業を通して「死」というものを理解しようとした。あらゆる角度から死を考える為に、宗教書、哲学書、文学書・・・等を乱読する。その結果、彼の内側からほとばしる何かが彼にこの作品を書かせたのだと思われる。
 3章に分かれた構成であり、「第一章 みぞれの季節」では彼の納棺という職業に辿り着くまでの経緯と、この職業に就いてからの葛藤や苦悩が日記のように書かれている。叔父からこの仕事を辞めないと絶交だと言われ、妻からも「穢(けが)らわしい」などと罵られてしまう。パブ喫茶を経営し、好きだった詩や小説を書いていたが、喫茶店は倒産し、生活の為に葬儀社に勤めることになる。そんな彼の苦悩が、みぞれの降る季節の情景と、宮沢賢治の「永訣の朝」の悲しい詩とともに抒情的に描かれていく。
 「第二章 人の死いろいろ」では死体処理の専門家になっていく作者が、いろいろな現場で体験したことが書かれている。「死」というものを三島由紀夫深沢七郎の「楢山節考」を引き合いに出し、ここでも宮沢賢治がよく登場し、引用される。しかし、実体験で死者と日々向き合っている作者の言葉はとても雄弁だ。叔父の死の直前の安らかな柔和な表情、井村医師の見た駐車場の明るく輝いた光景、宮沢賢治臨死体験から、作者は仏教、釈迦、特に親鸞の世界に入っていく。
 「第三章 ひかりといのち」ではこれまでの2章までの文学的文章とはガラッと趣を変え、仏教論、哲学、分子生物学ニュートリノを始め宇宙理論まで登場する。私には難しく、分らない部分も多々あったが、親鸞の説く「光」の正体とは何かということを推論していく論文調の文章です。おそらく文章のあまりの変化に戸惑う読者も多かったと思いますが、私の全く知らないこと、日頃意識もせず、考えもしなかったことがそこには書いてあり、興味深かった。
 作者が職業に悩んでいた頃、救ってくれたのは元彼女の美しい瞳だ。自分を丸ごと認めてくれた瞳だった。人は他人に認められたい生き物で、その時の回心で金も名誉も地位も大した関心事でなくなったと、後日述懐している。私自身にとっても友人から理解されているというのは嬉しい体験だった。
 「死」というものをまったく違う視点から考えることができる、素晴らしい書だと思います。「死」を考えるということは「生」を考えることでもあります。あらためて親鸞や釈迦、「如来」「菩薩」とは何か・・・等など、更に知りたいと思いました。「生死」を考えることで、「宗教」を考えることで、人生が深く豊かになりそうです。この本を書かれた青木新門氏と、きっかけを作ってくれた友人に感謝です。
 写真は今朝、日比谷公園を通ったら池が半分凍っており、鶴の噴水にはツララができていました。池が凍る程の寒さ、珍しいですね。思わず携帯のシャッターを切りましたら、朝日の夕刊にも同じアップの写真が載っていました。