神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「十三人の刺客」を観て

macky-jun2010-11-13

  凄い映画を観た。昨晩、会社の帰りに隣駅で降り、有楽町スバル座で「十三人の刺客」を観てきたのだった。実は会社の株主優待で貰った前売り券を持っていたのだが、封切りになって1カ月以上になるにもかかわらず、なかなか観にいける機会がなかった。この映画館ではこの日が最終日だった。1週間の終わりに一人で映画鑑賞、Unusualな体験だったことも新鮮だったのかもしれない。高校時代、学校の帰りにこうして映画をよく観に行ったなという遥か昔の記憶が蘇えった。映画は評判の話題作であり、続映されるほどなのだが、この日の観客はそんなに多くはなく、7〜8割方空席だった。
 時代は江戸時代末期、幕末の世も近い弘化元年。残忍な最凶の暴君明石藩主松平斉韶(なりつぐ)(稲垣吾郎)を暗殺しろという密命を老中から受けた御目付役・島田新左衛門(役所広司)が仲間13人を集める。必殺の策を練って、一世一代の大博打と言い、木曽中山道の落合宿で迎え撃つ。300人超対13人の決戦となる。ラスト50分の長い、壮絶な死闘が繰り広げられる。最初から緊張するシーンの連続で、戦闘シーンでは震えが止まらなかった。
 松平斉韶という殿様はとんでもない人物で、参勤交代の陣屋で女を手込めにし自害させ、その夫を惨殺する。だけど、お咎めなし。老中に暴君を諫めるべく訴え、自害した間宮図書(内野聖陽)の家族を小さな子供まで、縄をかけ、次々に弓で射殺する。こちらも、お咎めなし。百姓一揆の首謀者の家族を皆殺しにし、そこの娘の両腕両足を切り落とし、慰めモノにしてしまう。その不憫な娘が舌も抜かれ話もできず、口に筆を咥えて必死に書いた”みなごろし”の文字、これを目の当たりにした新左衛門は義憤に燃え、立ち上がる。とにかく、前半は如何に斉韶が酷い人物かということをこれでもかとばかりに描いている。三池崇史監督らしいリアリズムいっぱいの演出だ。これで観客をすっかり味方に取り込み、後半の戦闘シーンに突入していくという、単純でグロいけど上手い仕掛けである。
 だけど、この酷い暴君に稲垣吾郎を起用したことが面白い。当初、なぜゴロちゃんなの?と思った。キムタクやナカイくんならわかるけど・・・。一番似合いそうにない、悪者キャラ、大丈夫かいな?と思った。しかし、実に憎いくらい、悪役を演じていました。とんでもない奴でした。あまりに嵌まっていたので、本当はこいつ、こんな一面もあるのかなと思ってしまいました。
 映画の雰囲気は「荒野の七人」やその元になった「七人の侍」を思い出しました。たぶん、影響はされているでしょう。さてさて、ラストの戦闘シーンは壮絶でした。現代映画ならではのド迫力でした。13人はとても強いのだが、「斬って斬って斬りまくれ!」とボスの新左衛門に言われ、斬りまくるのだが、流石に300人はとても多い。なかなか戦闘が終わりません。だけど、1人果て、2人果て・・・、結局、こちらは新左衛門と甥の新六郎のみで、敵は斉韶が残るのみとなりました。
 あれだけたくさんいて、最後までボス2人が残るというのは、あまりにも出来過ぎていると思いましたが・・・。また、憎きはあの暴君藩主の斉韶のみなのに、何で300人を皆殺しにしなければならなかったんだろう?巻き添えにされた人や家族はたまったもんじゃありやせん。それじゃあ、あの暴君藩主と同じように非道じゃねえかと思ってしまいました。最初から、ゴルゴ13のような弓矢のスナイパーでも雇って、スマートに斉韶のみ暗殺すればいいじゃないかと思いました。それじゃあ、映画にならないか〜。
 さはありながら、役所広司の新左衛門は最後までカッコ良かった。斉韶は惨めに死んでいきます。しかし、最後まで残ったのは新六郎と、何故か不死身の山の野人小弥太(伊勢谷友介)。伊勢谷がいつものカッコイイ役でなく、おつむのおかしい、ユニークなキャラを演じています。
 いや〜、映画ってとってもいいものです。まして、仕事が一段落した休み前の週末の晩。最高でした。帰って、飲みながら妻に映画の話をしましたが、その後厭きられて、サッサと寝てしまいました。余韻を楽しむべく、一人パンフレットを眺めながら、夜中の1時まで飲みました。