神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

銀行は儲ける必要があるか 

macky-jun2010-10-24

 昨日、大学院の授業で話していて、面白い議論をした。生徒の一人が「銀行は儲ける必要があるのですか?公共的役割でいいのでは。」と発言をした。一見、頓珍漢な発言のようであるが、実は奥が深いテーマである。「銀行の収益追求と公共的役割」とでも題せようか。
 勿論、銀行も民間企業である限り、収益を追求するのは当たり前だ。まして、上場している限りはその収益動向を反映し、株価が上下する訳である。株主である投資家の為にも、収益性を高め、株式価値を高まるのが責務である。また、国際的にビジネスをやるためには格付けをいい状態に維持する必要があり、その為にも収益性は重要なファクターである。格付けが悪いと、調達条件が悪くなったり、ビジネス上の不利益を被る。だから、銀行は格付け機関、特にS&PやMoodiesの付ける格付けにはとても神経質となる。特に、現下の銀行経営にとって収益力は大事なポイントである。
 銀行の収益力が煩く言われだしたのは、そんなに昔のことではない。1980年代後半に世界の銀行ランキング(資金量、ドルベース)で、なんとベスト10の内、7行を邦銀が占めたことがあった。一方、現在のランキングを銀行の実力(企業価値)をより示すと思われる時価総額ランキングで見ると、邦銀は1行も入らず、三菱UFJ銀行が14位に入るのが最高である。ちなみにベスト10には中国の銀行が4行、米銀が4行、英国、ブラジルが各1行入るというように、様変わりである。
 この邦銀の80年代のOver Presense(目立ち過ぎ)が格好のターゲットになった。BIS規制である。欧米銀行は邦銀の弱点である、自己資本比率の低さに目をつけ、その点での規制を強化した。国際業務を行なう銀行は自己資本比率8%以上、国内業務のみでは4%以上が求められた。これが邦銀にとっての国際展開に足枷となり、以降拡大志向に歯止めがかかった。ちょうど、スポーツの世界でも似たようなことがあった。一時、萩原兄弟の活躍で強かったスキー複合競技やジャンプ競技で、日本ばかりが強すぎたばかりに日本にとって不利なルール改正が為され、以降、沈んでしまった。外のスポーツでも同じようなことがあった。目立ち過ぎるとターゲットにされる。WBCで2連覇してしまった日本は、今後何らかのルール改正で嫌がらせを受けるかもしれない。
 邦銀はそれまで大蔵省行政の護送船団方式の下で、銀行は絶対つぶさないとの方針で、確かに守られてきたので、自己資本比率が低かった。これを高めるためには増資をするか、収益力を上げて利益での蓄積を増やすか、資産を拡大しないかのどれかしかなくなった。資産の拡大ができないということは、これまでのような事業拡大ができないということでもあり、邦銀の拡大戦略に大きなブレーキがかかった。また、収益力を高める為に、これまでのような形でのビジネススタイルを改める必要性がでてきた。BIS規制以前の銀行業務はもっとほのぼのとしたものだった。収益よりも公共的役割が重視されているのが、ビジネスをしていた立場でわかるのだ。一言でいえば、より血の通ったビジネスができていた。
 欧米流のBIS規制がこれまでの邦銀の経営秩序に大きく変革を迫った。急激な収益性を求めていった結果として、リスクを大きく抱え、弾けてしまった銀行が出てきたのが97,98年である。北海道拓殖銀行、日長銀日債銀の破綻が相次いで発生した。以降、残った銀行は統合・再編を進め、メガバンクの誕生となった。現在も新たな新BIS規制が定められ、収益力の強化を求められ続けている。
 銀行はサステイナブルである為に、収益性を求められるが、一方でその役割は地域社会での貢献という公共的役割を担っている存在である。この両方の課題は二律背反とは言えないものの、ときに対立することがある。「銀行は社会に貢献する役割を担いつつ、安定的である為にそこそこ儲ける」というのが正解であるものの、いざその中で働いていると、ときに舵が在らぬ方向へ切られているのを感じることがある。