神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

 韃靼そば茶からの連想

macky-jun2010-07-28

  職場では500mlのペットボトルを傍らに置いて、仕事をしているのが常である。この日は伊藤園の「韃靼そば茶」を飲んでいた。私はこのサラッとした飲み物が好きである。「韃靼そば茶」からボロディンの有名な歌劇「イーゴリー公」の中の「韃靼人の踊り」を思い出した。韃靼というのは今のモンゴル辺りである。
 そこから、世界には多様な民族がいるなと思い、歴史への憧憬がもたげ、東洋と西洋、シルクロード、駱駝での交易・・・などと走馬灯のように連想した。かつて学生時代に、岩村忍の「東洋の発見」などを夢中になって読んだことがあった。そういえば、世界史と日本史は得意科目であったし、将来、歴史学者になりたいなどと思ったこともあった。
 設問:「近代ヨーロッパのナショナリズムと、アジア・アフリカのナショナリズムの相違について述べよ」
 解答:「ヨーロッパにおいては19世紀初のナポレオン戦争によって、各国にナショナリズムが芽生え、近代化の努力が為された。主に資本主義の遅れたドイツやイタリアや東欧の国々に起こり、国家統一や産業発展の努力が為されたのがその特徴である。 また、アジア・アフリカにおいては16世紀よりヨーロッパの原料供給地及び市場として、従属化を強いられた。その為、ヨーロッパに対する反抗としてナショナリズムが起こった。例えば、インドにおいてはイギリスに対して1857年にセポイの反乱が起こり、1877年にはインド帝国が成立し、第1次大戦後、ガンジーやネールらの反英運動、すなわちナショナリズムが起こるのである。また、トルコにおいては、近代初期には強国を誇っていたが、その後”瀕死の病人”となり、ロシアなどに干渉された。それに対して、ケマル・パシャを中心にナショナリズムが起こるのである。 また、中国においては、19世紀中頃より英仏独露日に侵略され、それに対し1919年に起こった5・4運動はナショナリズムの現われであるし、日本に対して行なった国共合作ナショナリズムの現われである。 アフリカにおいては、エジプトで19世紀初にトルコに対するナショナリズムとしてメフメット・アリの反乱があるし、英国の進出に対してのアラビ・パシャの反乱、1956年のナセルのスエズ国有化宣言、これらは全てナショナリズムである。 要するに、ヨーロッパのナショナリズムはナポレオンという侵略者によって民族意識を覚醒されたものであるが、多分に内的遅れという誘因から起こったものである。それに対して、アジア・アフリカのナショナリズムはヨーロッパの進出による外的誘因から起こったものである。(745字)」
 これは私が33年前に実際に受けた慶応大学経済学部の世界史の試験である。当時の日記(1977.2.25)から拾ってきたものだ。受験の模様をかなり詳細に書いており、この小論文の試験を失敗したと書いている。「小論文で5割取れれば良かったのだが、連戦の疲れか、予想を全く裏切られたためか(僕は第2次大戦後から現代までの世界情勢が出ると思っていた)、ところが問題は上記の通りだった。頭に血が上ってしまい、また万年筆使用で書き直しがきかず、原稿用紙がぐにゃぐにゃになってしまったためもあって、完全に論旨の展開を失い、くどくどとつまらぬことを字数足らずに書いてしまった。800字というのはどの位のことが書けるかわからなかったので、筋を失ったのだった。やはり、実際に練習をしておくべきだった。」と反省している。
 上記解答は、自宅に戻り、記憶を辿って日記に筆記し直したものです。そのまんまで一切手を加えていません。だけど、読み返してみると、手前味噌ながら「なかなかよく書けているな」というのが今の感想です。受験の小論文というのは名文である必要は全くなくて、いかにキーワードを沢山、正確に使って、論理展開を整然と行なっているかを見られます。だから、試験直後の私の落胆とは裏腹に、実はそこそこ良い解答が書けていたようでした。お蔭さまで、この受験は無事合格していました。
 何故、唐突に慶応大学経済学部の世界史の試験が出てきたかと言うと、「韃靼そば茶」→東洋と西洋→試験問題との連想ゲームでした。若干の自慢話にお付き合いさせてしまって、御免なさい。