神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「剱岳 点の記」を観て

macky-jun2010-03-24

 地元の名画座である飯田橋ギンレイホールで、「剱岳 点の記」と「さまよう刃」の2本立てを観てきた。大学時代ワンゲル部にいた私としては「剱岳 点の記」は気になっていた作品であり、同部の同級生T君からも薦められていた。だけど、ロードショーでは見逃してしまった。DVDで自宅のテレビ画面で観るのも迫力がない。という時に、ギンレイホールでやっていることを偶然知ったのだった。
 時代は明治39年(1906年)、陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)の物語である。当時は地図を整備することは軍事上の意味合いが大きかった。日本列島で空白となっている未踏の地である、剱岳を登頂し、測量せよとの命令が、主人公の柴崎芳太郎(浅野忠信)に下った。柴崎は山の案内人である宇治長次郎(香川照之)らと、大変な苦労を重ねながら任務を遂行する。
 当時、隣に位置する立山山岳信仰の対象となっており、剱岳は死の山と畏怖され、地元住民からも登山に対し反発される。剱岳初登頂を競って、ヨーロッパの先進装備を纏った、日本山岳会の小島鳥水(仲村トオル)らのパーティーと争う。雪崩にも遭う。部下が滑落し、事故に遭う。嵐で死にそうな目にも遭う。対面ばかり気にし、理解のない陸軍上層部からはどやされる。リーダーの柴崎は困難の連続で、しかも上層部からは正当な評価もされず、とても難しい決断ばかり迫られた。山で出会った行者(夏八木勲)から「何故、(出来ないと)そう決めつける。為せば成る。」と一喝されたり、「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ。」と謎めいた登頂のためのヒントを貰う。
 困難な中にあっても、常に味方はいる。測量部の仲間ばかりでなく、長次郎以下の地元案内人たち、かつて剱岳に挑み、果たせなかった先輩測量官の古田盛作(役所広司)、そして最大の理解者である愛妻葉つよ(宮崎あおい)・・・。この時代は、人と人との関係が濃密だなと感じた。
 自然の厳しさ、人の在り方、心の美しさ・・・全てが美しく描かれている。監督としては初となる、日本を代表するカメラマンである木村大作ならではの映像の迫力に、片時も目が離せなかった。CGや空撮を使わず、実写に拘ったらしい。明治の測量官が登った山に実際に登って撮影された。浅野や香川は1日9時間も歩いたこともあったらしい。また、BGMに流れるビバルディやバッハのクラッシック音楽も実に風景に合った曲を繊細に選んでいた。ストーリーは実にシンプルであるが、それ故に詩的な美しさがこの映画を引き立てている。
 いくつかあれっと思う点も無かったわけではない。7月の登頂なのに、やたら雪のシーンばかりが多すぎる。山の困難さを強調したかったのだろうが、雪渓はあるにせよ、夏の北アルプスの風景とは違う。同じく木村大作のカメラによる「八甲田山」を思い出した。遥か30年前であるが、これも映画・小説と暫くはまった。そういえば、両作とも原作は新田次郎である。日本山岳会隊の服装は街のファッションのようなコートであり、あれで本当に山を登れるのと思った。だけど、グリセードのシーンは素晴らしかった。相当な技術の持ち主であろう。
 香川照之が山男の長次郎にピッタリの役だった。体格も顔つきもそのものだった。この役は朴訥で謙虚な人物であり、最近、香川が演じる岩崎弥太郎正岡子規のような強烈な個性を前面に出した役ではない。だけど、無口な自分を抑えた性格が長次郎を個性的に引き出していた。凄い役者だとあらためて思った。
 「誰かが行かねば、道はできない。」 名もない測量官や案内人一人一人の努力の結晶で、日本地図が完成していった。この事実に、とても感動した。地図には深い愛着を持っていたが、これら多くの名もなき人々の歴史が刻まれているのを知り、益々、地図が好きになりそうである。