神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

第九にまつわる思い出

macky-jun2009-12-21

  ベートーベンの第九を聴きながら、自室でビールを飲みながら書いている。しかも、フルトヴェングラー指揮のバイロイトの第九である。1951年7月29日、第二次大戦後、初めてバイロイト音楽祭が再開された初日の記念すべき実況録音であり、もちろんモノーラル録音である。フルトヴェングラーは20世紀を代表する偉大な指揮者であるが、彼の演奏の中でも有名なのが、この第九である。とってもゆったりした演奏であり、誰の演奏かと聞いてみれば、第九ファンならば、皆わかるだろう。ちなみに今部屋に入ってきた妻に質問すると、バシッと”フルヴェン”と答えたのだった。
 第九の演奏時間は通常70分前後である。フルヴェンの第九は74分31秒と長い。CDの記録時間はこのフルヴェンの第九演奏時間を元に決められた、という逸話さえある。このCDの裏話はもっと面白い話がある。「1979年からCD の開発に当たったフィリップスとソニーはディスクの直径を11.5cmとするか12cmとするかで何度も議論を重ねており、大きさを基準に考えるフィリップスに対し、記録時間を優先したいソニーで話し合いは難航していた。11.5cmであることの様々な利便性は明らかであったが、最終的に「第九が入らなくては」との意見が出され12cmに決定したというもの。ヘルベルト・フォン・カラヤンが自分の第九交響曲の録音がちょうど収まる大きさにするよう圧力をかけた、とする説もある。実際のカラヤンの演奏時間は60分台で、カラヤンのライバルで、70分超えで演奏することが多かったカール・ベームレナード・バーンスタインの第九が時間オーバーで収まらなくなるようにするためでもあったという憶測もある。」(Wikipedia より)

 師走はやっぱり、第九である。バレエファンであれば、”くるみ(割り人形)”であろうか。季節をこれだけ如実に感じさせてくれる音楽というのは、珍しい。この曲を聴くと、今年もあとわずかだなという気持ちが強くなり、とてもせつなくなる。なんとなく、この一年の思い出が走馬灯のように蘇える。
 しかし、第九が師走にこれだけ演奏されるのは日本ならではのようだ。その背景には、戦後まもない1940年代後半、オーケストラの収入が少なくて、楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいと、確実に客を呼べる演目として、第九を日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏するようになったのが発端とされる。黒柳徹子は父黒柳守綱(新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の元コンサートマスター)から聞いた話として、学生合唱団を加えた演奏を行うことで、合唱団員の家族などがチケットを購入することで年末の演奏会の入場者数を増やし、楽団員の餅代を稼ぐというアイディアだったと説明している。
 たった今、脳の奥底から急に記憶が蘇えってきたのだが、大学3年の時、有名なNHK交響楽団の第九演奏会に、ガールフレンドが合唱団の一員として参加することとなり、チケットを頂き、原宿のNHKホールに出かけていった。この時の指揮者は著名なオットマール・スウィトナーであった。第4楽章で、彼女は白いブラウスと黒いロングスカートの清楚な姿で歌っていた。その時、近くにいるおばさん二人がやけに、ちらちらとこちらを見ているのが気になった。この時、歌っていた彼女は、その後、私の妻になった。そのおばさん二人は、義母と義母妹だった。