神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「砂の器」を観て

macky-jun2009-11-15

   映画「砂の器」を観てきた。朝早く6:30には目が覚めたので、前の晩書けなかったブログを書き、東銀座にある東劇に出かけた。松本清張生誕100周年記念特集上映の2日目だった。朝一番10:00からの上映であった。1974年の作品ということもあり、当時を思い出してか、年輩のお客さんが多かった。私ももちろん学生時代に観たことがあったが、2005年にデジタルリマスター化された版は初めてだった。
 松本清張は生誕100周年ということもあり、いろいろな所で最近騒がれている。言わずと知れた昭和の大作家であるが、「昭和史発掘」を始め「日本の黒い霧」「古代史疑」と、歴史家としての松本清張を再評価する声も強くなっている。高等小学校しか出ていない清張は、下積みの労働者として苦労した人だが、生来の文学少年であり、仕事の合間に小説をむさぼるように読んだ。いったんは文学への夢を封印するが、42歳の時に「西郷札」が直木賞候補になり、44歳で「或る「小倉日記」伝」が芥川賞を受賞する。遅い文壇デビューである。
 35年前の映画であるが、何十年振りかで観た「砂の器」は上映時間2時間23分という大作ながら、まったく時間を感じさせなかった。それほどスクリーンに集中したので、疲れもせず、退屈もせず、あっという間であった。勿論、ストーリー展開も知ってはいるのだが、当時観た頃に比べ、細部を愉しめたし、年齢なりに感じる部分は違った。それよりも泣けてしまった。前に観た時は泣くほどのことはなかった。
 また、既に鬼籍に入られた俳優も多数出演しており、懐かしかった。現千葉県知事が若手刑事役で登場するのには笑ってしまう。主役のベテラン刑事役の丹波哲郎ほか、加藤嘉緒形拳佐分利信渥美清は既にもういない。若手ピアニストとして登場する犯人役和賀英良を加藤剛が演じ、島田陽子山口果林も夏純子もみんな若かった。昔の映画を観る楽しさはそんなところにもある。
 街の風景やいろいろな物が懐かしいものばかりであった。東京を中心に、話は東北、山陰、伊勢、大阪、石川に飛ぶ。在来特急列車を乗り継ぐが、座席が垂直に立っており、狭い。さぞや当時の乗客は疲れただろうと思った。警視庁の会議室も狭いテーブルに窮屈に座っている様子や、当時の都会の街はまだ汚らしく、風景はここ30年でずいぶん変わったと思えた。
 この映画のテーマは和賀英良が作曲する「宿命」というタイトルそのものなのだろう。一人で生まれることは出来ない。一人で生きていくことも出来ない。人間と人間の関係は所詮、宿命である。打算的に生き、上流階級に上り詰めようとする和賀英良は、不幸な少年時代を断ち切るために、犯罪を犯してしまう。彼は音楽だけでしか心を表現できなくなっている。しかし、彼の渾身の曲である「宿命」が人の心を打つのは、父親への想いがその曲に籠められているからだろう。らい病(ハンセン病)となった父親千代吉と共に、生まれ故郷の村を追われるようにして、巡礼者となって白装束で旅立った息子秀夫、二人の辛い苦しい旅が、日本の四季の風景とともに描かれている。
 映画「砂の器」は、松本清張に「原作を越えた」と言わしめた名作だが、確かに小説では表現できない音楽とシンクロしての進行、日本列島の四季をつらぬく親子の旅風景。これはやはり映像に優る表現手段はないなと思った次第である。