神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

(14) 横溝正史と神楽坂

macky-jun2009-10-26

 三田線の駅で都営線のフリーペーパーである「中央公論Adagio17号」を手に取った。特集が「横溝正史牛込神楽坂を歩く」である。昔、熱中した横溝正史とわが地元の牛込神楽坂。何だかとっても嬉しい気持ちになった。1926年(大正15)、正史が博文館の雑誌「新青年」の編集者となって牛込神楽館(若宮町)に移り住んだ頃、江戸川乱歩も近く(筑土八幡神社裏)に住んでいたという。
 そんなことは神楽坂に22年も住んでいながら知らなかった(忘れてしまった?)ので、尚更嬉しかったのだ。正史が上京し、神楽坂に下宿したのが24歳の時だ。兄の友人であった乱歩の誘いで上京した。1932年博文館を退社し、作家生活に入るが、翌年、結核になってしまい、療養の身となる。そこで書いたのが「鬼火」であり、その後「人形佐七捕物帳」を書き、人気作家となる。名探偵金田一耕助シリーズが誕生するのは1946年と、44歳の時である。
 「本陣殺人事件」に始まり、「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔が来りて笛を吹く」などを次々に発表した。1976年以降、角川書店がヒット作を原作にした映画化をし、再び横溝正史ブームになる。ちょうど我々が高校から大学時代の青春期である。横溝正史の魅力はあの”おどろおどろしい”世界と、戦前の妖しげな時代観であろう。
 私にとって思い出深い横溝作品は何といっても「八つ墓村」である。大学浪人時代の国立の試験発表前の不安な時期だった。予備校に貼ってあった模範解答を見に行って、更に間違いを発見してしまい、大きく落ち込んでしまった。その沈んだ気持ちで、観に行った映画が「八つ墓村」だった。私の記憶が確かならば、水道橋後楽園にあった名画座館だった。渥美清金田一耕助を演じるという異色の作品だったが、温かい寅さんさながらの演技に和めたのだった。だけど、何より笑ってしまったのは、山崎努が懐中電灯を2つ頭に鬼の角のように立てて、ライフル銃と日本刀を振り回し、鬼気迫る、真面目な顔で走り回る姿だった。村人32人を殺してしまうという、大変惨い事件であるのだが、大の大人が懐中電灯を2つ頭に立ててという、あまりにも馬鹿馬鹿しい演技に笑えたのだった。これが暗く落ち込んだ私を救ってくれた。悩むのが馬鹿馬鹿しくなるような、馬鹿馬鹿しさだったからだ。
 岡山県八つ墓村のいわれは、戦国時代に慾に目が眩んだ村人たちが尼子一族の落武者8人を惨殺したことにある。以来、村には奇怪な事件が相次ぐことになる。これは”八つ墓村の祟り”なのか?!32人は8人×4です。金田一耕助が謎の怪事件に挑みます。
 この話は1938年5月21日未明に実際にあった事件をモデルにしている。岡山県津山のある山村で起きた大量殺戮事件である。山崎努の演じた多治見要造さながらのスタイルで、わずか1時間半の間に30人を殺し、被害は集落の約半数の世帯に及んだという。また、この事件は岩井志麻子が「夜啼きの森」という小説に書いています。こちらは岩井さん特有の妖しげなエロい作品です。こちら好みの方は読んでみてください。