神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説風「神楽坂のキャピタリスト」(14) 毘沙門天降臨<下>

macky-jun2009-10-13

 森元の事業はまだ構想だけで、これから始めるものだった。この事業のキーとも言えるシステム作りが並行して進んでいた。役員陣にはフランス系米国人とシステムに強い人間が加わった。男は実査と称して、いくつかの有名店にヒアリングを開始した。ビジネスモデルを説明すると、「うちもやりたい」という経営者が多かった。男が回ったうちで、あっという間に3件の新規契約が取れたのだった。中には著名なホテル&飲食店チェーンを経営しているグループもあった。こんなに簡単に喰いついてくるのは、ビジネスが日本では目新しく、魅力があるからだろうと思った。確かにこれまで国内にそうしたサービスを展開している会社はなかった。森元のビジネス構想では飲食店ばかりでなく、これを外のサービスにも、いずれ拡大していくというものだった。確かに米国ではクリニックや歯医者、航空券、劇場等アミューズメントなどで幅広く利用できるようだった。
 社内では事業計画だけのスタートアップ投資ということもあり、社長から反対をされた。それでも実査の好感触で確証を得ていた男は簡単には引き下がらなかった。5時間も議論を粘って、根負けした社長の与志野が「ならば10Mならやっていいぞ」とGoサインを出してくれた。男は自分の上げた案件は、審査会で否決されたことはないというプライドを持っていた。その位、自分の感覚に自信を持っていたのだが、それはある意味で傲慢だとも言えた。
 森元のダイニングカードは徐々に加盟店を増やし、加盟店リストブックはどんどん厚くなっていった。当然会員になった男も積極的に利用した。中には有名な劇場に入っている高級レストランもあった。しかし、気になったのはどこでも空いている店が多かったことだ。客が入らないから、ディスカウントしてでも埋めたいというのは、それだけ人気がない証左でもあった。味に問題があるのか、雰囲気なのか、サービスが問題なのか。何かが欠けているということは間違いないのだろう。それをディスカウントだけでカバーするというのは、世界で一番舌が肥えていると言われる日本の市場では、リピート顧客の獲得にはならず、そもそも無理があったのかもしれない。
 結局、森元は5年間頑張ったが、事業継続を断念した。そして、この事業を紹介者であった友人である仁木谷の満天グループに、二束三文の値で売却したのだった。一方で、ネットコマース満天市場を始めた仁木谷の事業は順調に拡大し、設立して3年後の2000年春にJasdaq市場に上場したのだった。その後も、得意のM&Aであっという間に一大企業集団を作り上げていった。金融事業への参入、プロ野球球団やJリーグチームの買収、大手テレビ局へのTOB等、派手な行動で、まさに時の人となった。得意の爺殺しで、着々と経済団体にも、若手ながら理事として入っていった。
 数年して男は後悔した。森元の事業でなく、仁木谷にこそ投資をするべきであった。尤も、満天はVCからの投資を全く受け入れなかったから、投資できるチャンスはなかったかもしれない。どうも、身近過ぎて見逃し、後輩ということで過小評価した点は否めないと、男は反省した。仁木谷の顔が毘沙門天になんだか似ているのを思い出した。毘沙門天は国によって、武神とも財宝神とも言われている。地元神楽坂の中心にあるのも、毘沙門天善国寺である。