神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説風「神楽坂のキャピタリスト」(13) 毘沙門天降臨<上>

macky-jun2009-10-12

 ベンチャーバブルと言われた時代があった。ヒルズ族という六本木ヒルズにオフィスを構えるベンチャー企業群をまとめてそう呼ぶこともあった。堀部のLivedear、沖口のGodwellが消え、外にもかつてもて囃されたものの、今は虫の息の会社も多い。しかし、仁木谷浩介の満天は紆余曲折あったものの、いまだに大変元気だ。
 仁木谷浩介は男のいた産銀の後輩だった。しかも、大学のゼミも一緒で6年も後輩であった。95年のある日、六番町にある閑静なオフィスで、仁木谷と彼の連れてきた森元と会っていた。男の会社7iBJはオフィスを青山から六番町に移していた。産銀を前の年に辞めた仁木谷から電話がかかってきた。「Harvardで一緒だった友人が、三友信託銀行を辞めて起業をするのですが、話を聞いてやってくれませんか」そして、連れてきたのが森元だった。沖田なんとかという俳優にも似た2枚目の、如何にもHarvardを出ましたという賢そうな30歳前後の青年だった。そして、仁木谷は毘沙門天のような熱血青年だった。
 彼のビジネス構想はダイニングカード。既に米国にはあるビジネスで、相当大きな規模になっているようだった。レストランや飲み屋が会員には料金を20%ディスカウントするというものだった。個人は年5千円で会員になれ、何回でも利用ができる。だから、2万5千円も飲食をすれば、会費はすぐ回収できる計算だ。飲食店としては空席を放っておくのであれば、多少ディスカウントしてでも埋めたいものだ。満席であることが人気の証でもあり、客が客を呼ぶという好循環につながる。料金はその場では正規料金で支払い、後でキャッシュバックされる仕組みなので、同伴者に知られることもない。店側もその時点ではわからないので、サービスに差はつかない。
 加盟する飲食店の開拓がうまくいくかがポイントだと思った。飲食店数がある程度増えて、有名店がリストに載れば、個人会員数も順調に増えていくのだろうと思えた。事業計画書はHarvardのMBAを取っただけあって、精緻なものだった。男は彼らに投資を検討したいと伝えた。仁木谷は帰り際、「今度、僕もビジネスを始めます。ネットコマースです。」と話しだした。男は「総合商社がみんな参入して失敗したよな。何で今頃ネットコマースなの?」と言った。仁木谷は「そんなこと言わないで、先輩、僕にも投資をして下さいよ〜」と大柄な体を丸めて甘えた。後に爺殺しで有名になった仁木谷は甘え上手だった。