神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説風「神楽坂のキャピタリスト」(9) Real Estate ForeverⅡ

macky-jun2009-09-26

 男の投資をしたJ社はその後どうなったのであろうか。J社の業績は予測を上回るペースで伸びつづけ、増収増益を継続した。投資をした1年半後の98/11に店頭登録を果たし、翌99/11に東証2部に上場し、2001/3には東証1部上場を順調に達成し、ステップアップしていったのだった。08/3期には売上高1,910億円、経常255億円、当期144億円となり、男が投資をした時点の業績の数十倍の規模の会社になっていたのだった。
 都心回帰の流れを受け、都心部でのマンション販売が好調であり、当社「J」シリーズのブランド力が浸透していた。この間、更生会社K社の再生も果たした。J社の事業は、単なるマンションデベロッパーでは最早無く、不動産ファンドビジネス、流動化ビジネス、賃貸管理、不動産ファイナンス、ホテル再生にもビジネス領域を拡大していた。グループ会社を10社も抱えるまでになり、時流に乗り、不動産と金融の融合のなかで大きく業容を拡大していった。
 VCの投資ビジネスとして見た場合、J社の時価総額は97年投資時点では30億円であったが、98/11公開時には330億円となり、ピーク時(07/3)には2,236億円にも膨れ上がっていた。我々の投資成果としてはわずか2年足らずで、投資金額の10倍近くとなり、IRRもとても良好で大成功であった。投資稼業に”ねばたら”はないのだが、仮にピーク時までずっと保有していたら、70倍以上の資産価値になっていた。
 この投資案件で得た教訓は、(1)環境認識を正しく持ち、自分の頭でじっくり考え、周囲の常識を疑ってみる。(2)ターゲットテーマを決め、戦略的に類似会社群をまとめて攻める。(3)現場にまめに足を運び、会社の特色・実態を把握する。(4)公開後の成長が更に見込まれるようであれば、直ぐに売却せず、公開後も保有しつづけ、より大きなキャピタルゲインを目指す。(5)いずれにしろ、洞察力が勝負です。
 この話には後日談がある。J社は08/3期に史上最高益の業績を果たした後に、折からのサブプライムローン問題での金融不況、不動産バブルの崩壊から、08/11に大手金融会社のO社の傘下に入り、金融支援を受け、再生を目指すが、09/5に負債総額1680億円で会社更生手続開始となった。負債総額では過去4番目の大きさであった。会社の一生も、個人の人生もまさに波乱万丈ですな。いい時もあれば、悪い時もある。J社にとってはこの2年は順調に登ってきたコースをジェットコースターで真っ逆さまに落ちたような面持ちだったでしょう。 まさに一寸先は闇。男は深く、煙草の煙を吸い、吐き出したのだった。