神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説風「神楽坂のキャピタリスト」(6) コンテンツⅠ

macky-jun2009-09-23

  ここは高田馬場駅近くにあるオフィスビル2階にある会議室。会議室の脇の作業場はそれぞれの机がパーティションで区切られており、クリエイターと呼ばれる者たちが自由に発想できるような空間となっている。大企業にあるような机を島のように並べた大部屋制ではなく、机も雁行型に並べ、個々の空間の自由度を重視しているのがわかった。男はここで、コンテンツ制作会社S社の社長と会議をしていた。
 時代は95年であり、まだDVDも無ければ、インターネットさえ一般には使われていなかった。当時、家庭用マルチメディアPC(懐かしい言葉でしょう)の出荷台数が急増。業務用、計算用、ワープロ代替での使い方が主流であったが、PCソフトを使って遊び、学べる等使い方が広がっていく環境にあった。そのなかでCD-ROMは国内では未だ出来たての市場ながら、急成長し94FYでPC系CD-ROM市場で約200億円。米国では10倍超の市場規模であった。米国で流行ったものは何年かの時差を経て、日本でも流行ることが多かった。市場見通しとしては家庭用マルチメディアPCの更なる普及、購入頻度のアップを見込み、CD-ROM単価の低下(4000円→2000円)を見込んでも、5年後の2000年には約10倍の市場に。ゲーム市場との融合が進めば更に市場規模は拡大すると見られていた。そんな有望な市場の筈であった。 
 S社のA社長は出版社の編集出身であり、当初、S社を音楽雑誌編集会社としてスタートしたが、エースクリエイターのC氏と出会い、CD-ROM制作を始めた。A社長の話はやたら業界用語を使い、判りにくいものだった。男のコンテンツ業界知識が少ないから、判りにくいのだろうと、始めは自分自身の勉強不足を嘆いたが、暫く付き合っていくうちにそうでないことが分かった。A社長の話が論理的でないために、頭にすっと入ってこないのだ。途中に入ってくる業界用語が目くらましになって、論理矛盾をきたし、訳が分からなくなってしまう。A社長はそんな経営者だった。
 S社は3DのCGを使ったビジュアルなタイトルを提供し業界内で高い評価を受けていた。作品についても、通産大臣賞を再三受賞する等、技術力では国内のみならず国際的にも評価が高かった。しかしながら、業績を見ると、まだ売上は3億円に満たず、やっと黒字をあげているに過ぎないレベルだった。周りの評価と業績には大きくギャップがあった。A社長はコンテンツクリエーター業界全体をリードしていく自負を持っていたようで、同業者団体の取りまとめ役を買って出ていた。よって、同業者内では成功者であり、面倒見の良さから評判は上々だった。
 男はどこか腑に落ちない気持ちを抱きつつも、知り合ってから3カ月でこの会社への投資を決めた。男の投資判断としては、PCコンテンツのリーダー企業を押えることはVCとして意味があるだろう。CD-ROMはいつまで続くメディアかは分からないが、媒体が替わってもコンテンツ制作には応用が利くだろう。確かに、周りの評価と当社業績のギャップは気懸りではある。しかし、PCの将来にかけた、新しい事業を展開する魅力の方が優った。