神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説風「神楽坂のキャピタリスト」(5) 回想

macky-jun2009-09-21

米国のベンチャーキャピタリストが、キャピタリスト同士の挨拶として使われる言葉に「これまで何社倒産させたか」というものがある。これで相手のキャピタリストとしてのキャリアを測るのである。また、如何にリスクを取った投資をしているかの姿勢と考え方を見ているのだ。何社公開させたか(成功したか)という実績も大事であろうが、それ以上に何社失敗したか。痛い目に遭ったか。この失敗体験を重視している。そもそもキャピタリストの仕事というのは、失敗する確率の方が圧倒的に高いのである。いちいち失敗にめげてばかりはいられない。そこから何かを学んで、新しい投資に活かしていかなければならない。
 男は今から16年前の93年末から98年夏までの4年半、7iBJという産銀系のVCに所属した。この間に37社に投資をして、19社が公開を果たした。公開確率5割1分3厘という数字は、3割打てれば好打者といわれる世界にあっては驚異的な数字である。キャピタルゲインも数億円のディールが数本あり、合計すれば20億円超も稼いでいることになる。一方で、破綻してしまった企業が10社であり、2割7分である。この数字も業界平均の2割からすれば高いことになる。成功することも多ければ、失敗することも多い。すなわち、メリハリの利いた、白黒はっきりと結論がつく投資が多かったのが、男の投資の特徴であった。
 後になって、男の実績を振り返ってみれば、そういうことになるのだが、在籍していた時は決してそんな勝利の感覚とは無縁であった。在籍中に公開を果たしたのは3社だけ、倒産をしたのが3社である。しかも、悪くなる会社というのはすぐ兆候が現れるので、これ以上に失敗をしたという悪い実感が残るのである。公開までは時間がかかるのだけど、投資失敗の綻びはすぐ現れる。
 これだけの数の投資を手掛けてくると、それぞれの会社に思い出がある。望ましい、輝かしい思い出もあれば、とても痛く、辛い思い出もある。50歳を超えて、人生の仕上げの時期に入りつつある男にとっては、どの案件も懐かしく、遠い時代のこととして思い出せるのだ。