神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説風「神楽坂のキャピタリスト」(4) 胎動

macky-jun2009-09-13

  ベンチャーキャピタルという、銀行とは似て非なる組織に入った男は、始めはなかなか案件に恵まれなかった。というよりも、銀行時代とは選別の基準がどうやら違うようであることに気付きだした。まずは企業審査から徹底的に叩き込まれた男は、企業の財務諸表分析から判断をする。そうすると、どうしても銀行時代に付き合ってきた企業よりも、劣って見えてしまう。収益が毎期トントンで推移して、何とか赤字を回避している財務諸表を見ると、粉飾をしているのではと疑わしく見えてしまうのだった。初めて与えられた投資案件を見て、そのように専務の光澤に報告すると、「VCではそんな風に見ていくと、投資できる案件なんて無くなってしまうぞ」と言われた。なるほど、目線を銀行よりはだいぶ落とさないといけないのか、と納得する。光澤は企業審査のベテランであった。特に中堅中小企業の審査のエキスパートであった。その光澤が言う言葉であったから、説得力はあった。
 VCの投資対象は出来上がった会社を合格審査するのではなく、将来の有望企業を先物買いするところにある。過去の実績である財務諸表は無論大事ではあるのだが、そこから延長線上にある未来である。過去が駄目だから、そこで可能性を否定することはできない。どんな未来を描く潜在力がその会社にあるのか、それを見極めることが大事である。そのためには何よりもそのビジネスの可能性、それを行っていく経営者の資質、経営チームの能力・・・と、企業の生の姿に深く入り込んでいかないと実態はわからない。男はそんな銀行とも違う企業の見方、銀行よりも鷹揚な企業への態度がとても気に入った。銀行が相手にしないような出来たての企業にも、冷たい対応はしなかった。まずは経営者の話を聞いてみるところからスタートする。それが彼自身の企業を見る目を肥えさせもした。
 彼がVCビジネスに入った前年の1992年には、市場環境の悪化からいったん新規上場がストップしたことがあった。既に公開申請をし、承認された企業が10数社あったが、凍結となってしまった。男がこのビジネスに入った93年末というのは、公開市場が徐々に立ち直っていく上り坂にあった。当時は今のように新興市場が複数はなく、店頭登録市場(今のJasdaq)か東証等への直接上場しか無かった。必然的にバーは高く、業績でも経常損益で少なくとも3億以上は必要であるというような実質基準があり、設立してある程度の年数を経た企業でしか上がることが出来なかった。公開にはそんな厳しいハードルがあった。
 投資をした会社が公開を果たすのは、3年以上先である。10年以上かかって漸く公開できる例もある。だから、見どころのある会社に投資をしても、成果はその時点ではわからない。そもそもVCが投資をして、公開出来る会社は2割くらいである。3割当てれば、プロ野球の3割バッター並みに尊敬される世界でもある。すなわち、成功よりも失敗の方が多い世界である。そんな難しいけれど、何かワクワクするような世界に入った男は、まだ35歳だった。仕事をするには一番油が乗りきった年頃でもあった。この先には多くの企業が男を待ちかまえていたのだった。