神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

小説風「神楽坂のキャピタリスト」 序曲

macky-jun2009-09-08

 ビジネスの合間で入った喫茶店で、ブラックコーヒーを飲み、一息つく。ここは神谷町の駅近くのカフェで、ガラス面の広い窓際の席が気持ちがいい。伸びやかな雰囲気の場所に居ると、発想が次々と拡がっていくようだ。正面に鏡があり、アクアスキュータムのネイビーブルーのスーツとピンクのシャツを今風にきつめに着た、髭面の50男が映っている。最近、ジムに通い鍛えているせいか、年齢にしては引き締まって見える姿は精悍だ。
 男は今しがたミーティングをしたあるファンドビジネス会社との折衝の内容をノートに纏めた。ビジネスミーティングは真剣勝負なので、こと細かくメモを取る時間はない。むしろ、相手の表情、言葉の端々に集中した方がいい。だから、面談中は一対一の勝負の場と心得、短いメモ書きをするのみである。時間が許せば、終わった後に、一服しながら、交渉内容を反芻し、メモを起こすのを常にしている。その時間が男がビジネスを楽しむ、貴重な時間ともなっている。今後の戦略、具体的な動き方を考えるのに、時間はそんなにいらない。
 男はこの仕事を始めて、随分になる。既に30年近く、金融の世界に居ることになる。しかも、この10数年はベンチャーキャピタルという世界で働いている。この業界は米国では尊敬を集める人気の職業であるが、日本での認知度は高いとはいえない。銀行、証券、生損保等の子会社として運営され、その親会社から出向で派遣された疑似ベンチャーキャピタリストが大半を占めているのは、残念なことである。ベンチャー投資の残高も、米国の約1割ととても低い状況である。しかし、それが故に、日本でこのビジネスが成長する潜在力があるのではないか、と考えた。
 このビジネスの潜在成長力を確信した男は、既に数年前に、会社でプロ職の制度が初めて出来た時に、迷うことなく応募した。第一号のプロ職メンバーとして、スタートした男の生活は変わった。生活は表向きは銀行時代と全く変わってはいない。出勤時間も退社時間も、スーツを着るスタイルも変わらない。強いて言えば、銀行時代の自分に決別すべく、男が髭を生やし始めたこと位だろうか。いや、内面での意識には大きな変化があったようだ。上司の評価よりも、何よりもとにかく稼いで、実績を上げることが使命である。自分が関わった仕事にはロイヤリティーを感じた。社内の人間関係よりは、社外の仲間、特にお客さんを大事にした。プロフェッショナルであれば当然の行動ではある。だから、男は社内での飲み会には、誘われても出ることはあまりなかった。出ないでいると、具合のいいことに、そのうち誘われることもなくなった。
 男の選んだベンチャーキャピタリストの世界は、彼がこの仕事を選んだ数年前とは様相をがらっと変えていた。これまでの流れで行けば、彼ほどの投資実績がある男であれば、洋々たる未来が開けているやに見えた。2005年前後の新興市場バブルは徒花(あだばな)であった。2006年1月のライブドア事件をきっかけとして、この世界はガラッと姿を変えていくことになる。徐々に迫る不吉な足音の訪れは、その前の饗宴からすれば、じきに治まるやに思えた。しかし、予想に反し、世界はこの後、深いどん底を経験することになる。男はまだそのことに気づいていなかった。