神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

 ディタッチメントとセレンディピティ

macky-jun2009-09-01

  3年前の夏に書いた日記というかメモ帳を取り出して書いている。
 実家から学生時代(高2〜大4)の日記(大学ノート4冊)を久々に持ってきて読んだ。浪人時代の一生懸命な自分、大学生活を謳歌する自分がそこにいた。昔の自分を感傷ではなく、客観的に見る(ディタッチメント)のも、今後の生き方の参考になる。人には大事な選択がその年齢に応じてあるようである。大きな選択としては、学校の選択、特に大学の選択であり、入学すればクラブ・ゼミナールの選択がある。その仲間とは一生の付き合いともなるので、生涯の友を得る意味でも大事である。
 次には、ガールフレンド→恋人→結婚相手→家庭生活のパートナーともなる最も大事な人の選択であろう。複数の候補がそのタイミングでは同時に現れることもあるので、この選択は人生を一番誤まりやすいようだ。そして、職業の選択。これは途中で変更も可能であろうが、当時は定年までは生涯同じ会社で勤めあげるのが普通と思われていた。また、何をやってきたかで、ジョブキャリアが形成されるのでその後の選択に影響を与える。
 資産形成の選択では、いつ、どこに家を買うかというのが、人生での一番大きな支出(投資)となるので、大事な選択である。我々の年代でも、バブル期を挟んでいつ家を買ったかで、大きく運不運が分かれている。
 子供は天からの授かりものであり、選択はできない。どんな子供が生まれてくるかもわからない。これが一番の不確定要因だろう。教育という後天的に補正できるものにも限界はある。
 自分に与えられた大きな選択肢、学校、就職、結婚、家というハードルは、何とか飛び越えられたのだろうか。それぞれの選択にあたっても、楽に与えられたものでは決してなく、考え抜いた末での選択だったように思っている。自分なりに目標を決め、戦略を練って、ひたむきに努力を継続した。失敗にもめげず、それを教訓として歩んだようだった。
 日記を読んでみると、自分の考察の跡がそこに窺える。決して安易に決めたのではないようだ。確かに、セレンディピティ(偶然の幸運に出会う能力)のようなものがあったかもしれない。