神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

ヘルマン・ヘッセの詩から

macky-jun2009-07-18

  「歳月は容赦なく流れ、すみやかに過ぎ去ってゆく。私が立ち止まって、尋ねているあいだに、もう最後の日が、間もなくやってくるだろう。兄弟のように手を握って、彼らは私と一緒に歩いた。おなじ郷愁が、くにからくにへと彼らを、そして私をかりたてたのだ。」(ヘルマン・ヘッセ
 中学の卒業アルバムに載っていたヘルマン・ヘッセの詩の一節である。クラブ活動毎に集まり、校庭に並んだ見開きの大きな写真の欄外に載っていた、この詩がとても気に入っていた。原典は不明であるが、昨日のブログを書いていて、ふと思い出して、抜き書きしてみた。
 ヘッセの文章は老人となって青春時代を懐かしく振り返る、郷愁に充ちたものが多い。私も気持ちは若いつもりでいるが、51歳という年齢は、昔は隠居する人も多く、第一線から身を引いた生き方をする年代であった。すなわち、老境である。しかし、いまの私は仕事をしていれば、若手と変わらない仕事を強いられており、落ち着く暇もない。老けこんでいる暇もないということは、ある意味、幸せなことかもしれない。
 週末の大学院の授業も夏休みを迎え、ほっと一息ついていると、そんなことを考える。妻からは山となった本と書類を何とかしろと言われている。確かに、会社でPCのクリーニング作業をしたばかりで、頭を活発に動かすには、捨てることだと学んだばかりである。さてさて、この連休はのんびり本でも読もうと思っていたけど、読まれるのを待ち構えていた本の在り処もわからなくなってきた。まずは、部屋の掃除から始めますか。