神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

武士になろう

macky-jun2009-06-29

 日本人が近年自信を失っているのではないかと言われる。足元の不況もあるが、いつからそうなり、何故そうなったのか。日本人としての自信のバックボーンの精神的な支柱「和の精神」を失ったためではないかと言われている。
 鎖国をしていた江戸時代、日本にやってきた西洋人は日本人の文化水準の高さ、教養の深さに驚いたようである。さぞや野蛮な未開民族であろうと先入観を持ってきただろうから、その驚きは如何ばかりであったか。当時の日本人は全国的に張り巡らされた藩校でエリート教育がなされ、商人等民衆も寺子屋で”読み書き算盤”を習った。識字率も、江戸府内の農村部を除くと90%を超える高さであり、武士はほぼ100%であったらしい。
 精神的にも仏教、神道儒学の教えをベースにした道徳教育がなされた。明治時代に入り、極端な欧化政策と廃仏毀釈の嵐の中で、これまで日本人が持っていたいい意味での精神主義を自ら破壊し始めたのだ。決定的に変わったのは第二次大戦後の世の中である。米国の占領下でアメリカ文化が輸入され、以降60年以上もの間、ひたすら米国に洗脳され、グローバル化こそ日本の目指す道だという風潮の下で、歴史的に培ってきたいい思想・風習・生活習慣までもが否定されてしまった。
 その結果、老人から若者、子供まで、矜持(きょうじ:プライド)を失ってしまった。また、古い時代の日本人が持っていた美徳の精神である五常仁義礼智信というものがある。その中でも、特に仁(他者に対する思いやり、慈しみの心)の精神を失ったように思う。仁は戦後の民主主義に相容れないばかりか、高学歴社会、成果主義の過当競争の結果、もはや死語になってしまっている。かくいう私も「仁」という単語をあらためて広辞苑で確認した程である。仁と義は孔子が言われたことだが、儒教精神が伝来し、日本人の精神形成に大きく根づいている。
 武士になろうと思った。もちろん、ちょんまげ結って、帯刀するわけではない。見かけは現代人の格好をしようとも、心は武士の心を思い出してみようと思った。私自身も近年はグローバルスタンダードなる言葉に振り回されてきた。強欲資本主義に毒されてもいたようだ。その矛盾が明らかになったからこそ、投資銀行の破綻もあったし、新興市場の崩壊もあったように思う。皆が強欲に拝金主義に陥り、一攫千金を夢見た。その夢が泡と消えただけのことである。今こそ、日本人が長い年月をかけて築いてきた、この国の民族に合った精神を思い出すときではないかと思っている。