神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

奢れる者も久しからず(GMの一世紀)

macky-jun2009-06-03

  GMが破綻した。1908年の創業なので、100周年を迎えたばかりだった。GMの経営基盤を築いたのは、アルフレッド・スローンだ。1923年から30年以上に亘り、経営トップの座にあり、この間業務を拡大し、フォード・モーターを抜き、世界1位となった。「GMにとっていいことは米国にとっていいことだ」と国防長官になったC・ウィルソン社長は議会公聴会で語ったとされる。50年代には売上高で米国最大企業となった。60年代は黄金時代で、米国市場の60%のシェアを確保した。
 70年代になると、石油ショックを迎え、低燃費志向が強まり、輸入日本車が注目される。低燃費車開発に遅れをとったGMは徐々に日本車にシェアを奪われる。日米の貿易摩擦を、日本企業は現地生産化を拡大することで乗り切り、一気に販売を伸ばしたのだった。
 この頃のGMにはおごりが蔓延していた。「自動車業界の中で見ても、あらゆる業界で見ても、GMは最も優秀な人材を有している」とは、72年に当時のR・ガーステンバーグ会長が言った言葉である。優秀な自分たちが造る車であれば、お客さんも満足してくれるはずである、という思いあがりである。
 このあと、GMはハイブリッドカーの開発も遅れ、何故かピックアップトラックSUVの生産に力を入れて、完全にトレンドから乗り遅れてしまった。まさに、日本車、特にトヨタにやられてしまった感じがあるが、この間、トヨタはGMに対して幾つか、救いの手を差し伸べているのである。一つは米国での自動車販売価格を敢えて上げたこと。二つ目はGMの持つ富士重工株式を買い取って資金支援をしたこと。三つ目がハイブリッド技術を供与しようと申し出たこと。しかしながら、敵に施しを受けるようになれば、企業もうまくいく筈もなく、今回の事態を迎えることになるのである。
 私ごとではあるが、1980年代の後半に、在日外資系企業への営業を担当していたことがあった。その時に、GMの日本法人をも担当していたが、おごりを感じられることが幾つかあった。ドイツ車のメルセデス・ベンツは日本では受け入れられ、ブランド価値を持っていたが、残念ながらGM車は全くもって売れなかったのだった。精々、田舎の暴走族が、如何にもバカっぽいカマロに乗っていたことが印象に残っている位だ。とにかく、日本のマーケットでは受け入れられなかったし、GM側の売ろうという意識がなっていなかった。当時のGMは日本語のパンフレットさえ、ろくすっぽ用意していなかったように記憶している。そのくせ、融資の金利交渉は超一流企業並の傲慢な要求をしてくるので、そのGAPにとてもついていけない思いをしたのであった。
 学生時代に古文の授業で暗記した平家物語の冒頭の一節を思いだした。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる者も久しからず、ただ春の世の夢の如し。たけき者も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。』