神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

今日までそして明日から

macky-jun2009-03-31

2日間もブログを休んでしまった。期末・期初、自分が抱えている課題・・・何となく、忙しく追われているのが、ブログを書けない、心の余裕のなさかもしれない。ということは、これまで1年4か月位の間に300篇以上も書けたのは、それだけ心の余裕があったということで、逆に幸せだったんだと、改めて思い直さなければならないのだろう。
 1年前の今日は、「期末の日にGlenlivetで」というタイトルで、ウイスキーについて書いていた。酔いに任せて、テーマも決まっていないのに、やおら書き出し、どこかでキーワードにぶつかり、そこからテーマに集中していくという行き当たりばったりなブログ戦略が多かった。Glenlivetを飲みながら、そのまんまウイスキーについて、思っていること、これまでの付き合いを書いたという単純な姿勢であった。ちなみに、今日はここまで書いたにも関わらず、何について書こうか、未だ決まっていないのである。
 今日のBGMはガーシュイン、そしてミュージカル「Cats」、クラッシック音楽を聴かせながら醸造された麦焼酎「田苑」を飲んでいる。一年前はアマリア・ロドリゲスのファドを聴きながらGlenlivetだった。この一年間、果たして何か成果はあったか。自分は成長できたか。人に対して、世の中に対して、何か貢献できたか。
 一年が経つのは極めて早い。自分なりに懸命に生きてきたつもりだったけど、この一年は結構厳しく、満身創痍だったような気がする。かなりダメージは喰らったはずだが、こうしてしぶとく生きている。これまでも何とかやってきた。だから、これからもやっていけるのだろう。全く論理的な説明にならず、吉田拓郎のFalk Songのタイトルのようだけど、明日からもしぶとく生きて行くつもりだ。
 わたしは今日まで生きてみました。時にはだれかの力をかりて。時にはだれかにしがみついて。      
 わたしは今日まで生きてみました。そして今 わたしは思っています。明日からもこうして生きて行くだろうと。

 わたしは今日まで生きてみました。時にはだれかをあざ笑って。時にはだれかにおびやかされて。   
 わたしは今日まで生きてみました。そして今 わたしは思っています。明日からもこうして生きて行くだろうと。
 わたしは今日まで生きてみました。時にはだれかにうらぎられて。時にはだれかと手をとりあって。
 わたしは今日まで生きてみました。そして今 わたしは思っています。明日からもこうして生きて行くだろうと。
 わたしにはわたしの生き方がある。それはおそらく自分というものを知るところから始まるものでしょう。
 けれど それにしたって、どこで どう変ってしまうか。そうです わからないまま生きてゆく。
 明日からの そんなわたしです
 わたしは今日まで生きてみました。そして今 わたしは思っています。明日からもこうして生きて行くだろうと。