神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

読書は心の中に街を作る

macky-jun2009-03-10

久々に小説を読んだ。それも50ページ程の短編である。北方謙三の「煙草」というタイトルのモロッコが舞台になった男っぽい話だった。最近は小説からはとんと遠ざかっており、実務書やファイナンス関係の本ばかり読んでいた。明らかに読書傾向が偏っているのは感じていたので、ホーキングや宮澤賢治を買ったりしたが、パラパラとめくっただけだ。小説や難しい書を読むような心の余裕がなかったのだろう。小説を愉しめる時というのは、余裕のある時である。
 浅田次郎が好きで、随分と読んだ。買ったまま読んでいない作品も随分とある。「輪違屋糸里」「憑神」「活動写真の女」「月下の恋人」などだ。幸田真音の本も随分貯まっている。「有利子」「コイントス」・・。まだ長編を手にとって、じっくり読める心のゆとりは無さそうなので、当面短編小説だろう。
 北方謙三氏がさるインタビューで、「読書は心の中に街を作ってくれる」という話をしていた。心の街は、本を読むたびに広がっていく。最初は同じような本ばかりで、似たような団地が立ち並ぶだけかもしれない。しかし、続けるうちに、道ができ、カフェや花屋が建ち並ぶ。心の中の街で、いつしか豊かな生活が営まれていく。心の中に「アナザーワールド」を作るということだ。想像を膨らませることで、あなたの街も豊かになっていく。これが人間の大きさだ。少なくとも僕は、面白い街を作っている人間とつきあいたい。
 思わず、メモをとりました。彼は「水滸伝」を長編で書き続けていますが、まだまだ手を出せる、心の余裕が僕にはありません。ここで、僕なりの小説の体験をお話しましょう。
 小説を読みながら、自分が作品の主人公になりきってみる。そこで思う存分に、非日常的な、境遇の違う自分を楽しんでみる。そうすると、今度は現実の自分自身の生活やビジネスの世界に戻り、小説の主人公をいま演じていると思い、とても客観的な自分を発見できます。自分自身を客体化してしまう。そうすると、悩んでいたり、ふさぎこんだり、不安を感じていた自分がとても馬鹿らしくなります。「どうせ、この世の中、芝居みたいなもんじゃないか!」自分に入り込まず、一歩、背後から自分を眺めてみるという感覚です。わかりますでしょうか。
 時々、そういう客観的な、冷静な自分になれることがあります。日頃はつい自分にどっぷり没入してしまいますので、熱くなったり、がっかりしたり、そういう感覚からは離れてしまうことが多いです。だけど、意識して自分の体・頭・心からいったん離れてみる。魂のみ離れるといったら、言い過ぎかもしれません。だけど、世の中の動きや他人のことが、とてもゆっくりとよく見れる、わかるという体験ができる不思議な瞬間です。
 自分を客体化してみるのと、自分の心の中に街を作ることは似ているようで違うことかもしれません。でも、自分が生きていける場所というのはたくさんあるのだと認識でき、余裕が生まれます。いま自分のいる世界で、たとえ失敗したとしても、「なんだこのくらい」と思える余裕が生まれます。そうなれば、自ら死を選ぶような馬鹿なことが無くなるだろうにと思います。年間3万人もの人が自ら亡くなってしまう、この国へのヒントかなと、思いました。