神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

「土門拳の昭和」を観て

macky-jun2009-03-08

  本日、最終日であった日本橋三越新館ギャラリーで開かれた「土門拳の昭和」生誕100年記念写真展に行ってきた。日曜午前中、いつものようにジムに行った私は、会場で妻と待ち合わせをした。ここ一年は写真展にいく機会が多かったが、土門拳氏の写真には特別な思いがある。まだ社会人になりたての頃である。新潟に赴任していた折に、山形県酒田市(土門の生誕地)にある、開館(1984年)して間もない”土門拳記念館”を訪れたことがあった。田舎の田園風景にふと現れた、モダンな建物の魅力もさることながら、そこに展示された迫力ある、訴えかけるような写真の数々に、強く印象づけられた。
 そして、今回、土門拳の集大成のような写真展が東京で開かれた。250点の公開である。入ると直ぐに、チケットの写真「しんこ細工 浅草(昭和29年)」が迎えてくれる。このサイトの上の写真である。しんこ細工とは、米の粉を餅のようにして、いろいろな造形をする街端の大道芸というか、屋台の風物である。いま、東京でこのしんこ細工の職人としては小川さんという方が1名いるのみらしい。こんな時代や子供達を切り取った写真が、たくさん登場する。
 まずは、室生寺シリーズが続き、その凛とした美しさに圧倒される。室生寺金堂にある十二神将立像の表情がとても面白く、妻ともども見惚れてしまった。特に、未(ひつじ)神と丑(うし)神の人間的な表情が何とも言えず良かった。土門は細部や部分を切り取るのが、とても巧い。
 若い頃手懸けた早稲田大や東京高等女子師範(現お茶の水女子大)の卒業アルバムの写真が公開されていて、興味深かった。いま、このアルバムを持っておられる方々はおそらく90歳半ばを超えておられようが、その価値は如何ほどになろうか。大変な宝物である。
当時の宇垣一成外相の米「Life」誌の写真を木村伊兵衛と争った話とか、画家の梅原龍三郎を撮影で怒らしてしまった話だとか、幾つかのエピソードは面白かったが、彼の写真で最も訴えかけるものは、昭和30年前後の戦後の子供たちを撮った写真であろう。貧しい時代だったが、どの子も明るい表情をしている。いまの街の様子とはガラッと違う。だけど、我々の年代からすれば、とても懐かしい風景である。
 また、自身「報道写真家」であるということを常に意識されていたというが、ヒロシマ筑豊の炭田の子供たちを撮った写真は、とても訴えかけてくるものが強い。思わず目頭熱くなるような写真がある。まさに”人間”を撮っているな、という感じだ。この頃、土門は脳血症で倒れ、35mmカメラを諦め、大型カメラの世界に移行する。古寺、仏像、古美術の世界に対象を移していく。ここで、彼の名作「古寺巡礼」が生まれる。観ていて、彼の作品のポイントは「ライティング」にあるような気がした。どうしたらこんな風に撮れるのか?ある人が、中宮寺弥勒菩薩像を観にいったが、彼の撮った写真の方が、美しく感じたようだ。弟子の藤森武氏が秘密は「ライティング」にあるということを、やはり言っており、全て土門が自分で調整をしたようだ。
 土門拳は1909年に生まれ、戦前戦後、そして昭和という時代に活躍してきた。1979年に脳血栓で倒れ、1990年に亡くなるまでは目覚めることもなかったらしい。私が酒田の記念館を訪ねた時は、そんな状態にいるということを聞いていた。”日本と日本人が好き”と高らかに宣言した土門の写真作法は、自分が惹かれた対象を凝視し、物事の本質を捉えるためのものであったらしい。”実物よりも写真の方が本質を語っている”のを本日の写真展でも再認識した。