神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

(10) 袖摺坂の謎  

macky-jun2009-02-15

    久々の神楽坂考シリーズの登場である。神楽坂は坂の多い街であり、歴史的な逸話など特色のある坂もあり、坂を巡って散歩してみるのも楽しい。その中でも人気の高い坂の一つに「袖摺坂(そですりざか)」がある。
 袖摺坂というのは、とても狭い坂のことで、人と人とが行き交う場合に、袖を摺り合わせるようにしないと、お互いに行き過ぎることができない、というような振袖姿の女性が行き交う様を想像できる、美しい命名であると思う。現在、東京には袖摺坂が二ヶ所あり、一つは千代田区一番町にある坂であり、既に広い道に拡大されている。もう一つがここ神楽坂にある坂である。折からの神楽坂ブームの中で、雑誌やテレビでも紹介されることも多い馴染みの坂になっている。しかし、今の袖摺坂は本当の袖摺坂ではない・・・というミステリーのような話がある。
 袖摺坂についてはこれまでも幾つかの本にその記述が見られる。横関英一氏著「江戸の坂 東京の坂」、道家剛三郎著「東京の坂風情」等、有名な坂なので、沢山取り上げられているようだ。NPO法人「粋なまちづくり倶楽部-神楽坂アーカイブズチーム」が編集した「神楽坂アーカイブズ 第2集」が08/10に発行されたが、その特別企画「袖摺坂って本当はどの坂?」という鳥居秀敏さんの話が詳しく、面白い。
 鳥居秀敏さんの家は明治文壇を代表する小説家の尾崎紅葉の大家さんとして知られています。また、地域に関する執筆活動のほか、あらゆる分野の地図を研究されており、数々の旧街道やフォッサマグナ(地質学の大縦断地溝帯、糸魚川ー静岡構造線)の踏破をされた経歴をお持ちです。と紹介されているが、私にとってもとても縁の深い方である。銀行の大先輩であり、私がまだ若い頃、不動産の担保評価でお世話になり、いろいろと教えて頂いた。当時、鳥居さんは審査部評価班の嘱託であり、不動産評価のプロフェッショナルとして、我々若手銀行マンにとってとても頼りになる存在だった。緻密なお仕事をされる、一方で、時間的な制約のある案件でも随分と無理をきいて頂いた、柔軟性のある方でした。
 そんな地図と郷土史に詳しい鳥居さんが「粋なまちづくり倶楽部」主催の講演会で話された内容を再構成されたものなので、有難く、じっくりと拝読させて頂いた。要はいま新宿歴史博物館が立てた標識のある、大久保通りの公衆便所わきから北側の大信寺前につながる石段の狭い坂は、本当の袖摺坂ではない、というものである。上の写真の坂がそれです。ところが、かつては大久保通りを隔てた反対側、南蔵院脇の地下鉄牛込神楽坂駅前の、幅広いS字坂が袋町・北町に登っていきますが、その坂の上部に同博物館(区教育委員会)が立てた標識があったそうです。それがある日突然、反対側の現在の場所に移転したのです。
 何故、このような事が起きたのか?ならば、本当の袖摺坂はいったいどこなのか?長くなったので、続きは明日アップします。実はこの袖摺坂は我が家のごく近くにあり、今、この写真を撮ってきました。(つづく)