神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

スティーブ・ジョブズの言葉

macky-jun2009-02-04

 先日、異動していったM君が社員全員に宛てた、メールでの挨拶の言葉 「この仕事は本当に楽しく、私はこの会社と皆様のことが大好きです。ジョブズのアドバイスを受け入れ、「点と点を繋いで」、いずれまた一緒に大好きな仕事ができる日を夢見ております。」に添えて、米Apple社CEOスティーブ・ジョブズスタンフォード大学2005年の卒業式で行なった祝賀スピーチを引用してくれました。MBAホルダーのM君らしく洒落たことをしてくれます。これが素晴らしい内容だったけど、長いので、自分ながらに抜粋してご紹介したいと思います。
 ジョブズはここで自分の人生から得た3つのストーリーを紹介している。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。彼の母親は若い未婚の院生で、生まれたら養子に出すと決めていた。いくつかの経緯があり、貧しい労働者階級の両親の下に貰われていった。しかし、生みの母親がつけた条件で、この子を大学まで行かせると約束した。やがて、17年後、ジョブズは大学に入るが、貧しい親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていく。6ヶ月後、彼は退学を決意する。しかし、その後も彼は大学に居残って、本当に好きな授業のみ聴講した。彼は後に、この退学の決断は人生最良の決断だったと振り返っている。
 彼のいたリード大学は国内最高水準のカリグラフィ(飾り文字)教育の大学だった。これが10年後、マッキントッシュ・コンピュータを設計するに際して、最高のアイディアになった。未来に先回りして、点と点を繋げることはできないけど、将来それが何らかの形で必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
 2番目の話は、愛と敗北にまつわる話である。彼が20歳の時、実家のガレージで始めたApple社は10年後、4,000人、売上20億ドルの企業になった。彼らの最高傑作マッキントッシュを発表した1年後、30歳の時、彼は創業者であるにもかかわらず、クビになり会社を追い出される。暫く、ズタズタとなる。しかし、この不幸な出来事も、彼にとっては人生最良の出来事だった、ということが後になってわかってきた。成功者であることの重みが、ビギナーであることの軽さに変わった。あらゆる物事に前ほど自信も持てなくなったけど、自由になれたことで、クリエイティブな時代に足を踏み出すことができた。
 その後5年で、彼はNext社やピクサー社を創り、素晴らしい女性とも出会い、結婚し、Next社をApple社が買収したことから、彼は古巣に復帰する。「人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ。自分の仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。自分が素晴らしいと信じる仕事をやる。まだ見つかっていないとしたら探し続けること。落ち着いてしまったら駄目です。」
 ・・・ここまで書いて、大変長くなってしまったので、この続きは明日にしたいと思います。 あしからず。おやすみなさい。