神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

恋人との別れ(株式を売却することの意味)

macky-jun2008-12-19

  金曜日の夜というのは、何ともホッとして、心が休める時間である。一週間の中で、一番好きな時間である。それも、けっこう頑張れて、自分なりに満足が行けた 一週間であれば、なおのこと嬉しいものである。今週は前向き案件もそれなりにあったのだが、専ら敗戦処理のところで頑張ったな、という気持ちだ。投資した株式の売却も、新規投資同様に体力、手間がかかるのである。価格をどうするか、その資金手当てはと気にかけたり、ちゃんと履行されるかを心配する。昨日もさる会社からの売却資金の振り込みがないとの連絡を受け、電話してみると「失念してました」との回答である。どっと疲れてしまうのである。
 なかでも、売却株価を交渉するのは最も疲れるものである。上手く行かなかった投資の株価であるから、二束三文である。買値@10万円の株価が、売値@1円というケースも儘あるのである。それでも、売ってしまうのは、その会社に対する投資が、評価損から実現損に変わり、会計的には有税償却から無税償却に変わるのが大きいからである。実現損として計上することで、VCの決算としては税をセーブできるのである。
 実務的にはそんな感じなのだが、キャピタリストとしてはこの瞬間は断腸の思いでもある。自分が信頼し、行けると思って、賭けた会社や経営者である。その関係の象徴である株式を売却することで、株主でもなくなるし、一切の関係を清算することにもなる。彼らとの付き合いもこの瞬間で無くなるというのが、一般的である。そして、何よりも、自分の投資を失敗であったと認める瞬間でもある。一つの会社に対して、投資をするというのはその前と後を含めて、相当なエネルギーを要するのである。それを一切水に流すというのは、キャピタリストとして一種の儀式にも近い、禊ぎである。とても悲しいが、一種必然の別れでもある。自分に対しても、失敗した投資をしてしまったことに対する反省がある。何故間違えたか、何故うまくいかなかったか、という自分に対する煩悶がぐるぐる回るのである。これは実際に投資に携わったキャピタリストにしか解らない気持であると思う。決して、VCのマネージメントには解らないことだと思う。
 出会って、お互い相思相愛となり、結婚する(恋人となる)のが、VCでいう投資であるとすれば、株式売却はお互いこれ以上、一緒にいることは得策でないと、冷静に判断し別れる、離婚であろうか。結婚もエネルギーが要れば、離婚も同じくらいエネルギーが要るようだ。お互いに好き合った者同士が、関係を清算していく。寂しいようでもあるが、新しいスタートでもある。哀しいけれど、年の終わりと共に、そう決断し、この年末にかつての恋人(妻)たちに、私は泣く泣く別れを告げたのである。
 BGMでユーミンの「翳りゆく部屋」がこの日に相応しく、流れていきます。