John Lennonを思う
今日は歴史的な日である。67年前に日本がアメリカに対して無謀にも開戦した日だ。また、28年前にJohn Lennonが暗殺された日である。今、俺はJohnのアルバムを聴きながらブログを書いている。40歳で亡くなったJohnに哀悼の念を表しつつ、Whiskyを飲みながら、Johnの歌声を心に刻みつつ、次第に俺は酔って行く。
1980年12月8日、NY,自宅のダコタ・ハウス前で、マーク・チャップマンというJohnのファンだという精神異常者によって撃たれて死んだ。俺が大学3年生の時だった。突然のことで驚いたが、これでBeatlesの復活も永遠に無くなったのもショックであった。曲は「Happy X'Mas (War is Over)」に変わった。毎年、このシーズンになるとJohnのこの曲が、山下達郎と並んで流れる。続いて、「Imagine」が流れ、「Jealous Guy」だ。その前の「Love」といい、甘い曲が多いのに驚く。もっと、Johnは政治的な、攻撃的な音楽が多かった気がしていた。「Give Peace a Chance」や「Power to the People」や「Cold Turkey」のような曲だ。Johnが昔の曲をアレンジして、同名の映画で大ヒットした「Stand by Me」も哀愁がいっぱいで懐かしい。
そう言えば、俺に新潟でドイツ語を教えてくれたSabine Manngoldも、Johnが大好きだった。当時、俺が乗っていた(中古の)Cellica XXで二人で聴いたJohn Lennonのカセットテープを彼女にあげればよかった。Johnを聴くたびに後悔する。Sabine先生にJohnのTapeを届けたい。
Johnは生前、この神楽坂にも訪れ、「たつみや」という老舗のうなぎ屋でYokoと共に、食事をしたらしい。今でも、この店は変わらず本多横丁に変わらず構えているが、John Lennon夫妻が来た店として有名である。Yokoは父親がイタリア大使館に勤めていたとかで、九段下に住んでいたことがあると聞いたことがある。懐かしくてJohnを神楽坂に連れてきたのだろうか。漱石も歩けば、John Lennonも歩いた街として、この街の魅力も深まっていく。
John LennonとPaul McCartneyとはBeatles解散後、その確執が言われ、一緒に人前に登場することはなかったと記憶している。だけど、晩年、Johnがこう語っている。「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった。」また「俺が音楽業界で達成した偉業はひとつ。『ポール・マッカートニー』を発掘したことだ」
二人の友情は、彼らの素晴らしい音楽と共に、永遠に語り継がれていくのではないだろうか。