神楽坂のキャリアコンサルタント

永らく「神楽坂のキャピタリスト」のタイトルで発信をして参りましたが、この度タイトル名の変更を致しました。

敬天愛人

macky-jun2008-12-01

  一日が過ぎるのがあっという間だ。12月に入った途端に、何だか急に忙しくなりだした気がする。今日になって「あの案件、やっぱり年内に方向性だけでも出ないでしょうかね」という問いかけが2件もあった。こちらとしては「はい。わかりました。頑張ります。」としか言いようがない。彼等は僕にとっては案件を運んできてくれるお客様でもあるんだ。大事にしないと。
 実は忙しいのは結構これでも好きな方なので、内心「やっとエンジンがかかってきたぞ!」とほくそ笑んでいる。暦は師走、走る様に忙しくないと、世間の流れに乗り遅れてしまう。12月のあわただしい中、仕事がない、というのも如何にも辛いものがある。忙しいなかで、忘年会やコンサートやバレエやいろいろと遊びのスケジュールで埋まっていくのも楽しいものだ。
 「挫折を知っている人は謙虚になれる」という。今年、私自身は数多くの挫折を経験した。これでもか、これでもかと一気に畳みかけてきた。妻によれば、六白金星(昭和33年生まれ)の人の今年の運勢は最悪らしい。今年は何とか過ぎ去るのを凌ぐしかないらしい。そう言えば、初詣のおみくじも末吉だった。思い起こせば、いい時は大吉が出ていた様な気がする。だけど、ここまで落ちればあとは上がるしかない。
 確かに、最近の自分は前よりはだいぶ謙虚になったような気がする。自信を失って、強く出れないだけなのかもしれない。だけど、自信に乗って、つまり調子に乗って、強く出るとはどういうことなのだろう?”強く主張しない”ということは、必然的に人の言うことを聞くようになる。他人から見るとよくわからないけど、最近の俺はおとなしく人の言う事を聞いているようだ。少なくとも、かみさんからはそう言われるようになった。以前の俺は、如何にも人の意見を聞かない嫌な奴であったようだ。自己主張の強い、鼻もちならない、嫌な奴だったようだ。
 天がこういった俺のざまを見ていて、「このままだとこいつは本当に嫌な人間になり下がってしまう」と思い、いろいろと試練をくれたのだろうか。この試練に対して、どういう態度をとるのか、試されているのかもしれない。昨日から、内村鑑三の「代表的日本人」で西郷隆盛を読み、長く日本人のこころに残る人物とはどういう人間なのだろうかと考えていた。西郷というと「敬天愛人」という言葉が思い浮かぶ。「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」ということを言っているようであります。
 西郷は一冊の著書も残しませんでしたが、数多くの詩と若干の文章が、彼の崇高な考え方を伝えています。「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗する人が多いのはなぜか。それは成功がみえるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである」
 西郷は「天」を信じると同時に自分自身をも信じる人でありました。「断じて行えば鬼神もこれを避ける」簡潔な詩を残しており、心に染みわたる。「私に千糸の髪がある。墨よりも黒い。私に一片の心がある。雪よりも白い。髪は断ち切ることができても、心は断ち切ることができない。」次の山で詠んだ小篇は西郷そのものです。「地は高く 山は深く 夜は静かに 人声は聞こえず ただ空をみつめるのみ」 大西郷のように天と会話をできるようになるのは一体いつのことだろうか。